病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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今日は「アジアのオペラ史上最高のテノール」と称された韓国出身のテノール歌手 ベー・チェチョル氏の軌跡について取り上げたいと思います。
チェチョル氏は韓国の漢陽大学声楽科を卒業後、イタリアの国立ヴェルディ音楽院に留学され、首席で卒業されました。そしてドイツのザールブリュッケン歌劇場と契約され、ヨーロッパ各地の劇場でもオペラ公演に参加され、活躍されていました。
しかしながら発声の調子が悪くなっていたことをきっかけに、
甲状腺がんが発覚。2005年9月、がんの切除手術を受けられることとなりました。

チェチョル氏のがん細胞は声帯を動かす神経にまで及び、神経も3cm切除されたのだそうです。また術後、右の横隔膜が動かなくなったということですから、横隔神経の麻痺も起こったのでしょう。8時間に及んだ大手術で、広くリンパ節の郭清が行われたのだと思います…。

歌手にとって声帯だけでなく、呼吸を司る横隔膜まで影響を受けてしまったことは、本当に大変なことです。
チェチョル氏にとって声は自分を表現をする最大の手段であり、歌うことは自分自身、人生そのもの。そして大切な家族を養うための生計の糧でもあったのですから。
それだけでなく、自己実現の階段を一歩ずつ昇っていた30代半ばのチェチョル氏にとって、自分の声を脅かす病気の出現は、とても大きな衝撃をもたらしたことでしょう。
術後、医師から説明があった時の様子を、チェチョル氏は次のように回想していらっしゃいます。

そして医師は、「おそらくこれからは、以前のように歌うことはできないだろう」と言いました。
私はその話を聞いて、「私はもう歌えないのですか?」
と問い返したのです。
すると医師は言いました。「もしあなたが歌うとすれば、陸上選手が一本の足だけで走るのと同じです」と。

私はこれを聞いて、「以前のようにうまく歌うことはできないだろうけれど、何とか歌えるのではないだろうか」と考えました。「一本足でも走ることはできるということだな」と理解したのです。「それなら、時間もかかるし問題も多いだろうけれど、やればいいじゃないか」と思ったのです。

今、考えてみると本当に楽観的な考えでしたが、そのように受け入れられたのは、神の恵みだったと思います。


引用文献:
ベー・チェチョル(2009)『奇跡の歌 声を失った天才テノール歌手の復活』いのちのことば社フォレストブックス, pp.24-25

前向きなチェチョル氏でしたが、現実は大変厳しいものでした。
術後、数日して初めて発声した時、その音は風のようだったそうです。これから何をしていけば良いのだろうか…「お先真っ暗」という気持ちだったのだそうです。

その心に光明を射し、支えたのは、チェチョル氏の信仰でした。
チェチョル氏はご家族皆さんがキリスト教徒でしたが、病気と共に生きていくことを覚悟する上で、とても大きな役割を果たしたのです。
日曜日の教会だけでなく、毎週水曜日に家族で小さな礼拝を行い、賛美歌を歌い、祈りを捧げたそうです。夫を支えた奥様は、不安で、怖くてたまらなかったそうです。奥様もイタリアで声楽を4年間学ばれていた方です。他の誰よりも、夫の苦悩をよく理解し、そしてこれからの道が決してたやすいことではないとわかっていたはずです。しかし奥様はチェチョル氏の前でそのような様子は見せず、明るく、何でもないように振る舞ったのだそうです。それは夫に対する気遣いからでした。奥様は夜になると聖書を読み、聖書をはさんで寝て、トイレにまで聖書を持っていったそうです。神様と共にこの難局を乗り越えていきたいという思いがあったからでしょう。信仰と祈りはチェチョル氏にも家族にも、癒しと心の平安をもたらしたのだそうです。

祈り続ける中で、神は私を見捨てたのではなく、この出来事をとおして確かに何かをしようとしておられるのだと感じました。
それは私だけの考えではなく、私の為に祈ってくれていた友人たちも同じ思いでいたようでした。それは私にとって大きな慰めになりました。(略)
私は、神の働きの中にある小さな道具であり、自分の歌手としての人生が、神を証しするためにあるのだと思えるようになりました。そして、暗闇の中を手探りで進むように、何かまた歌うための方策がないか、調べ始めました。

引用文献:前掲書, pp. 31-32

その後、チェチョル氏は日本の仕事仲間から、日本に甲状軟骨形成術の名医である一色信彦先生がいらっしゃることを知らされ、2006年4月、日本で手術を受けることにしました。それは動かなくなったチェチョル氏の右側の声帯の位置をずらして固定し、自由に動く左側の声帯の動きによってある程度声が出るようにする手術でした。
その後、チェチョル氏はリハビリを地道に続けられて行ったのです。

そして2008年冬に行われた検査では、神経が切断されて動かなくなっていた右の横隔膜が少しずつ動くようになり、動かなくなって小さくなってしまった右肺が再び大きくなっていたのだそうです。一色先生は「発声練習を続けるうちに他の神経が伸びてきて、切れた神経の役割を補っているのではないか」(前掲書, p.74)と推測されたそうです。
素晴らしいことですね!!
チェチョル氏もご家族も、どんなに嬉しかったことでしょう。
人間の身体は、諦めずに努力を続けることによって、補完しあう働きが生まれ出てくるのだと、改めて知ることができます。

今は回復の途上にいるので、先のことはわかりません。
ですから、「少しでも希望をみせてください」と祈ります。
「これとこれを、すべてください」というのではなく、目の前に何も見えない道ですが、イライラしない心をくださいと祈るのです。車で初めての場所へ行くとき、最近はナビゲーションがあるので、目的地を入力してナビに従って安心して進むことができます。私もちょうどそのような感じです。祈りという「入力」をすれば、目の前に広がる初めての道を神が導いてくれると信じているのです。

引用文献:前掲書, pp.84-85

「天賦の才能」という言葉があります。
天から授けられた才能。それは人より秀でた特別な才能であり、人から賞賛を浴びる機会も多く得られることでしょう。
病気になる前のチェチョル氏の天賦の才能は「歌」だったのでしょう。
でもきっと、本来「歌」の陰に隠されていた天賦の才能とは、困難な状況でも道を投げ出さず、こつこつと努力を重ねて、自分の持つ才能の一つ(歌)をより一層美しいものへと開花させることなのでは…と思います。

病む前は、私は歌がうまい人の一人でしかなかったけれども、
しかし今は、人々に何らかのメッセージを伝えられる立場になったのかもしれないと。


引用文献:前掲書, p.70

天賦の才能となすべきことを自覚することにより、人生はもっともっと広がっていくきっかけを得るのだと思います。きっと。

 
病気のためにやけになってしまいそうな気持ちのお子さんへ。回り道しても、そこに道は続いているのだということ、どうか忘れないで。
長原恵子