病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
 
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可能無限の海へ漕ぎ出す時

隣の芝生はいつも青々としており、他人を羨ましく思ったり、自分の不出来を遺伝や生育環境のせいにしたり…それは人間の常かもしれません。あるいは、そうした言い訳を見出す方が、本人にとっては気楽だという面もあるでしょう。しかし、そうした思考癖の中で生きていくことは、人生に多くの損益をもたらすことになる…そう思える言葉が、先日読んだ茂木健一郎氏の『脳が変わる生き方 人はどこまでも成長できる』の中にありました。
茂木氏は人間の脳の可能性を次のように捉えられています。

そして、人間の脳にはもともと、変わることを支える力があることがわかっています。(略)まず、カギになるのは、「偶有性」という言葉です。
偶有性とは、半分は決まっているけれども、半分はどうなるかわからないということ。少し難しく言うと、半分は規則的で、あとの半分は、偶然に左右されるということです。


引用文献:
茂木健一郎(2009)『脳が変わる生き方 人はどこまでも成長できる』PHP研究所, p.14
(太字箇所は原文も太字のまま、以下引用時、同じ)

「どうなるかわからない」「偶然に左右される」…そうした言葉には、不安定なイメージが付きまとってしまいます。しかし、それは脳にとって、決してネガティブな意味を持つわけではありません。

この「どうなるかわからない」ことを、脳は大事な要素として動いています。逆に言えば、決まり切ったことばかりだと、脳本来の働きが死んでしまいます。
ある程度までは予想できるけれども、あとは何が起こるかわからない偶有性の中で、うまく生きていくために、脳は進化してきたからです。


引用文献:前掲書, p.15

不確定な状況は、脳が進化するために必要な舞台設定だと考えれば良いわけですね。「脳は進化した」その言葉は、自分たちの日常生活に当てはめてみると、何やらたいそうな響きに聞こえますが、もう少し日常的な言葉に、たとえば「脳が成長している」と言い換えてみると、確かにそうだなと思いませんか? 日々決まり切った環境の中では、新たな工夫や成長は起こり得る隙間もないですから…。

茂木氏は脳は無限に変化する可塑性を持っている、という理由から、偶有性の海に飛び込むようにとアドバイスされるそうです。「無限に変化する」というと、誇張した表現のように聞こえますが、でもそうではありません。

無限には二種類あって、「実無限」と「可能無限」と言います。実無限は神様にしか扱えない世界。実無限は、誰も見たことも、聞いたことも、触れたこともない、極限の世界です。

一方、可能無限は、われわれ人間にも扱える世界です。1、2、3と数を数えていったとして、どんなに大きな数になっても、必ず次がある。これが可能無限です。

人間の脳はこの「可能無限」なのです。※1

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今までの自分を、慣性で続けていくのが一番楽なことですが、それをやってしまっては、人間の脳のもっとも素晴らしい能力である、可能無限を引き出すことができないのです。※2


※1 引用文献:前掲書, p.25
※2 引用文献:前掲書, p.27

偶有性によって進化する機会が得られ、何か新しいことにチャレンジしていくことが可能無限を引き出すことにつながっていく…つまり「安定」や「予定調和」を手放していくことが、脳にとっては、とても良いのだというわけです。

しかし、新しい刺激が必ずしも常に吉と出るばかりではありません。挑戦した結果、思ったようにはいかなくて、「あんなことするんじゃなかった…」って後悔したり。しかし茂木氏はそうした状況さえも、脳にとっては非常に良いものだと考えます。

失敗を後悔することも、人の成長に深くかかわっていることが、最新の脳科学の研究でわかっています。後悔するときに活動しているのは、眼窩(がんか)前頭皮質というところで、脳の中でも環境の変化に対応する「適応力」を司る部位です。

後悔することは、ネガティブな感情として敬遠されがちですが、単に振り返って悔しがるだけでなく、現実に自分がとった行動Aとこうすればうまくいったのにという想像Bとの、比較が行われているのです。
将棋の棋士が対局後に行う「感想戦」は、まさにそうです。

そして、そのときの自分の選択に反映されていた価値観や世界観を反映して、これまでの考え方を変えるきっかけにもなる。つまり後悔は、未来を変えるために起こっているのです。

落第や失敗は、大きなチャンスです。ですから、むやみに落ち込むのではなく、自分自身を知り、未来を変える、またとない機会としてほしいと思います。


引用文献, 前掲書, p.100

昔から「失敗は成功の母」などと言いますが、失敗によって起こる後悔が眼窩前頭皮質の活動を促し、適応、すなわち自分をより良く変えていくための変化をもたらし、未来の自分がなりたい自分へと近づくための一歩になっているとしたら、後悔だらけの過去の時間も、決して自分の汚点ではありません。自分自身、それを素直に引き受けられるような気がしませんか?そして自分が望む、自分の姿が心の中ではっきり描ければ、変わるための具体的なアクションプランが見えてきますね。

脳には、オープンエンドという性質があります。「自分はこうだ」と決めつけなければ、いつまでも発展し続けることができる。逆に決めつけてしまうと、もうそこでおしまいなのです。


引用文献:前掲書, p.158

オープンエンドって良い言葉ですね。
誰かとの比較による優劣ではなく、自分自身の問題だということにも気づかせてもらえます。

いにしえの言葉として強欲を戒める言葉として「足るを知る」があります。『老子道徳経』の立戒第四十四に出てくるもので「足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず」という言葉。
でも、茂木氏流に考えれば、脳の成長は「足るを知らずとも、辱しめられず。」と言えるかもしれませんね。

後悔は自分が変わる原動力。そう考えれば、望む自分へ変わるための
スタートラインは、誰にでも開かれているはず。
2017/1/19  長原恵子