病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
 
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術後の身体の蘇りと岩盤浴

注意:読者の皆さんへ
こちらのページは私個人の手術の経験から、術後、日が浅い時点での岩盤浴について書いています。人それぞれ病状や体調、治療内容によって、岩盤浴がもたらす効果は随分異なると思います。術後、岩盤浴を始める時は、身体に過度な負担が生じて悪影響が生じないよう、スタート時期や岩盤浴の時間を、主治医に相談されることをお勧めします。

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術前、いろいろな方からその先生の手術の腕の高さをうかがっていましたが、術後経過は良く、おかげさまで術後、合併症もありませんでした。ありがたいことだと感謝いたしました。

にもかかわらず、自分の感覚として、どうも「どこかから借りてきたお腹をはめ込まれた」ような感覚が抜けきれなかったのです。
身体の一部であるはずのお腹が、なぜかそこだけよそ者のような…。
「術後、そういうものですから。そのうち良くなっていきますよ。」と流されてしまう話だと思います。西洋医学的には、処置の対象にはならないのだと思います。しかし、当の本人にとっては、違和感を拭えないまま過ごさなければいけないのです。

また自分にとって気になる問題として、術後、身体の中から火が消えたような感覚が続きました。これも西洋医学的には、何かするわけではありません。術前に比べ活動量が断然減っていますし、絶食だったので、当然です。当時晩秋で、まだ病院の暖房が入っておらず、深夜から早朝にかけて肌寒く感じる時もありました。全館コントロールされた空調だから仕方ないとのことでした。

少しずつ火が戻ってきたように思えたのは、点滴もとれ、食事も普通の食事になった術後6日目頃だったと思います。しかしその火も食後30分ほど経つと、消えるような感じが抜けきらなかったのです。シャワーしか入れなかったのも、大きな理由の1つだったと思いますが。

これは自分で何とかするしかない、と思って退院後、私は岩盤浴に行くことにしました。術前、岩盤浴で随分身体が温まり、汗がでることを経験していたので「きっとこの状態を何とか改善してくれるにちがいない」という確信があったのです。

術後3週間過ぎた頃、行ったのは東京 荻窪の「なごみの湯」です。手術の2週間ほど前に岩盤浴に行ったのが最後だったので、実に5週間ぶりです。
混雑した中ではリラックスできないので、平日昼間、比較的空いている時間に行きました。自宅から通いやすい路線で、荻窪駅から歩いてすぐの場所にあるため、移動に消耗する体力を心配する必要はありませんでした。

最初はお腹の創のために岩盤浴の専用ズボンのゴムのしめつけが怖く(普通、皆さんは何気なくはいていると思いますが)、術後ずっと着用していた腹帯をしないで動くことが不安だったので、ズボンの下にぴったりと隙間なくフィットするタイプの短パンを履き、お腹のところにはズボンのゴムが直接あたらないようにハンドタオルをはさんでいました。
手すりも何もないオープンフロアの硬い岩盤の上にしゃがんで、仰向けになること自体、大変でした。ですからゆっくり、ゆっくり自分のペースで、横になりました。時間制限がないので、あせらないで利用できるのはとてもありがたかったです。両足をまっすぐに伸ばすと、引きつれた感じがするので、片足だけ伸ばして、横になりました。

身体全体にじんわり熱が伝わってきました。しかし30分ほど経っても汗が出てこないのです。一体どうしたものかと、自分の身体が恐ろしくなりました。相当、身体の中が冷えていたのだと思います。それでも横になり続けると、ようやく汗がじわじわ出てきました。
それと共に、身体の中が目覚めたような、生き返ったような感覚が得られたのです。
そのまま2、30分ほど横になりました。そしてついに自分のお腹の中が、ようやく自分の身体の一部になったような気がしました。身体の中でよそ者のようであったものが、溶けあったというか…。バラバラだったところにスムーズなつながりができたような感じが生まれたのです。私の身体の中で、収まるべきものが収まるべきところに収まった、つながるべきものがつながったという感じが湧いてきました。それはとても、とても実に不思議な感覚でした。安保徹先生(免疫学)の本で身体を温める効能について学んでいましたから「身体を温めることは今の自分の回復にとても力になる」ということを、しっかりと確信しました。

岩盤浴のあとに湯船で温まりたいのはやまやまでしたが、術後1ヵ月半くらいまではシャワーにしました。創のこともありましたし、水圧に耐える自信がなかったからです。ありがたいことに、そこの岩盤浴には通常の大浴場のフロアとは別に、岩盤浴フロアに女性用のシャワー個室が設けられていましたので、そこのシャワーで汗を流しました。

岩盤浴の最中は気分爽快でしたが、やはりかなり体力を消耗していたようです。帰宅するとすぐにベッドの上で30分くらい横になりました。通い始めて1ヶ月ほどは、そんな感じでしたが、不快な調子の悪さではなく、心地良い疲れでした。
その後、毎週1回岩盤浴に通うことが私の術後の生活の日課になりました。毎週通うたびに、自分の体調が良くなっていくことがわかりました。そして、あんなに大変だった岩盤に横になること、岩盤から起き上がることが苦ではなくなり、寝返りも、足を伸ばすことも容易にできるようになっていきました。専用着も普通に着れるようになりました。大浴場でしっかりと首までお湯につかって、楽しむこともできるようになりました。

岩盤浴を体験したことのない方にとっては、岩盤浴は娯楽の領域として受け取られてしまうようです。術後3ヶ月頃に、ある方に体調をたずねられたので「どうも借り物のようだったお腹が、岩盤浴に行ってからようやく自分の身体になった」と話したところ、「あぁ、あなた…ついにそんなこと言うようになっちゃって…」と半ば呆れた嘲笑と、そして半ば憐れみを含んだまなざしをしみじみ向けられ、取り合ってもらえませんでした。私は悲しい気持ちでいっぱいでした。西洋医学で何十年もやって来られてきた方の目には、わけのわからない民間の健康療法に傾倒しているがん患者として映ったのだと思います。そこで、どれだけ自分の身体が変わっていったかきちんと説明すれば良かったのでしょうが、私は随分疲れてしまい、そんな気力もありませんでした。「経験した人でなければ、実感できないのだから、それを経験したことのない相手に理解してもらおうという方が、無理な話。たとえ他人がそれをまやかしだと思い、自分が馬鹿にされても、自分が体調良く過ごせているのだから、それでいいじゃないか。」そう思い直して帰宅の途につきました。

ただ、どうも気になっていたのです。
「複数の器官を摘出(子宮・両側卵巣・大網)をされた後の身体が、つながりとまとまりを得て、収まりの良い統一感に充たされる」ことは、単なる爽快感を超えた「何か」であることを。
その「何か」とは、自分の身体の中で確かに間違いなく起こった変化によって導かれた「ポジティブな結果」である、ということを。
それが私の「気のせい」なのではなく、また岩盤浴による温熱が単なる「気休め」ではないことはどうやったら伝わるのか。どうやったら、客観的な見地の説明が可能になるのか。
いろいろな本を読み、調べました。
私の経験は、誰かの役に立つかもしれないから。
そして、ドラ・クンツ先生のエネルギー伝達とインピーダンス、そして伊藤要子先生のヒートショックプロテイン(HPS)の考えに出会って
「あぁ、これだったんだ!」と思ったのです。
それは長くなるので、また今度。

身体がバラバラな感じがしたら、
身体を温めてみると良いかもしれません!
2013/6/13  長原恵子