病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
日々徒然(ブログへ)
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる
癒しの場所
こどもたちと
家族のために…
 
病気のお子さんとご家族
病気のお子さんとそのご家族の支援を考えるお部屋
 
先立ったお子さんとご家族
先立ったお子さんとそのご家族の支援を考えるお部屋
 
充電できる癒しの場所
新緑と海風と観音様
― 北海道 函館山 ―

「100万ドルの夜景」と称されるほど美しい夜景の函館に、2018年5月行ってみました。夜空の下、函館の街と港はキラキラしていました。

左上は山頂から全体を眺めた風景。漆黒の手前は函館山山麓、向こう側は夜空でその両脇が海です。
左上の写真の向かって右側が湯の川温泉方面。左側が函館駅、港方面です。左下の写真ははこちらは山頂から西方面のベイサイドエリアです。
観光名所としてにぎわうロープウェイと山頂展望台ですが、函館山は地元のこどもたちも遠足で登るような山なのだと知りました。

それなら昼間、私も登ってみよう!と思い切って挑戦してみました。
 
当日は函館公園を散策した後、函館山へと向かってみました。公園内の白い建物、旧函館博物館一号を右に見ながら公園そばの車道に出て、喫茶店と住宅との間を通る道を函館山方面へと登っていきます。舗装された道路ですが、傾斜は結構急です。振り返ると青い海が…。
上り坂の終点はT字路。そちらの正面をそのまま直進すると奥には青函連絡船海難者殉難碑があります。
T字路を右折すると登山者用の駐車場へ続いています。駐車場の周りはオレンジ、黄色のきれいなつつじが咲いていました。
そして道路右手に函館山管理事務所ふれあいセンターが見えてきました。ここには水洗トイレがありましたので、登山直前に準備万端、出発するには役立ちます。
登山道へと進んで行くと、すぐに旧登山道コースと宮の森コースの分岐点となります。
「函館山」と言いますが、1つの山なのではなくて、13の山々を総称した呼び方で、登山コースも10通りあります。私は展望台のある御殿山に向かい、なおかつこどもたちも遠足で利用するという難易度の低い「旧登山道コース」を選びました。
運動靴で十分登れるコースです。
登り始めて気付いたのですが、道沿いには点々と、観音様が安置されているのです。ちゃんと調べて登っていれば良かった……。残念。
下山後、調べてみました。こちら天保5(1834)年、関西・紀伊方面の西国三十三霊場の土を運び観音像が安置されたのだそうです。函館山が要塞として使われるようになった時は、山麓や湯川にある湯川(とうせん)寺に移され、戦後函館山に再安置されたそうです(※1)
そこで函館公式トラベルガイド 函館山散策コース案内図(※2)を元に、当日訪れた観音様マップを作ってみました(右図)。青色表記箇所が訪れた観音様です。

「旧登山道コース」は足場もしっかり整えられており、豊かな緑の中で解放感を感じながらのんびり散策を楽しめるコースでした。途中、急な傾斜の所もありましたが、そういう場所はきちんと階段が設置されています。登山道は全体的に足元の土の硬さも丁度良くて、道の上に落ちている枯れた葉っぱが適度な緩衝材の役目を果たしてくれました。 途中、すれ違う人の中には軽く速度をつけてランニングをしながら登っていく壮年期の方が数名いました。びっくりしましたけど、トライアスロン大会にでも出場するような、強靭な体力の方たちなのでしょう。

登山の2日前、実は函館では強風警報が出て雨もかなり強かったのですが、当日はぬかるんでいるところもなくて、雨はすっかり山の土に吸収されていました。

新緑の間から射し込む木漏れ日が美しく、青空は眩しい位でした。
山の緑の間を抜ける空気も清々しいし、かわいらしい小鳥の声がどこからともなく、聞こえてきます。
のんびり、マイペースで森林浴を楽しみながら、軽く汗をかいて山を登っていくには、最高の場所です。
そのうち、途中に大きな水槽が現われました!
かつて防衛強化の拠点とされていた函館山には函館要塞が築かれ、今も砲台跡が残っているのです。こちらの大きな水槽は、函館要塞当時の貯水槽。ここまで水を運んだとは……少し朽ちかけた貯水槽は蓋の一部が草木に覆われており、経過した時間の長さが感じられます。
車道に出たので、横断歩道を渡り、標識に従って旧登山道へ進みました。旧登山道コースの中ではこのように山道の中から車道へ出て、また山道へと入っていく箇所が何箇所かありました。
函館山は自然の宝庫で約600種類もの植物と150種類のが生息する(※3)そうです。そのうち、大きな屋根が見えてきました。背後にあるのはヤマザクラ?その下はベンチのある休憩所で、隣りはお手洗いでした。

お花見しながらちょっと一息、というのもありですね。時間のない方はここまできて下山されても、十分森林浴気分を味わえると思います。そして少し進むと一合目。こちら標高100mです。 四国三十三所の御詠歌と共に観音様が登場です。

第二番 
紀伊国海草郡 
普陀落山 紀三井(きみい)寺
十一面観世音

ふるさとを はるばる ここに
きみゐでら
はなのみやこも ちかくなるらん
再び車道に出るので、向こう側へ渡って登り進めていきます。比較的平らな所、階段、いろいろあります。足元を見ると、こんなところにも植物が……。
そしてまた車道に出てきました。渡ると背の高い石碑がありました。函館山登山道路の開通に尽力された元函館市長 宗藤大陸氏の功績を讃えたもので、碑文は宗藤氏の文章からとられたものだそうです(※4)
<碑文>
緑の山 紺青の海 美しきかな 函館 無音
足元には柔らかな白いヤマザクラの花びらが散った跡が…。
頭上を見上げると、新緑の枝葉が広がっています。上を見たり、下を見たり、自然の移り変わりを感じることができます。

二合目に到着しました。こちら標高134mです。再び観音様が登場です。

第三番
紀伊国那賀郡 
風猛山 粉河(こかわ)寺
千手千顔観世音

ちゝはゝの めぐみもふかき
こかはでら
ほとけのちかひ たのもしのみや

2合目と3合目の間、登山道から少し脇に入ったところに、観音様がありました。

第四番
和泉国 和泉北郡
槇尾山 施福(せふく)寺
千手観世音

みやまぢや ひばらまつばら
わけゆけば
まきのおてらに こまぞいさめる

そして3合目です。標高161mまで上がってきました。

このあたりから道のそばに岩肌が見えてきます。函館山は約100万年前、火山から噴火して流れ出た溶岩等が盛り上がってできたそうで、ここの溶岩は「御殿山溶岩」と呼ばれているそうです。

野鳥観察小屋が見えてきました。

折角の機会ですが、時間がないので今回は山頂目指してまた登山です。

そして第五番の観音様の登場です。

第五番
和泉国 河内国南河内郡
紫雲山 葛井寺(ふじい)寺
千手観世音

まいるより たのみをかくる
ふじゐでら 
はなのうてなに むらさきのくも
青い空に緑の濃淡がとてもきれいに映えています。
普段吸っている空気と一味も二味も違う空気は、こうした緑と太陽が生み出したものなのだなあと、改めて実感します。

そして分かれ道が出てきました。右に行くと薬師山。左に行くと山頂。ベンチもあるので一休みできます。
緑の間からまるでお城の基礎組みのような石積みが出てきました。
こちらお城ではなく、函館要塞の跡なのだそうです。

看板には旧登山道コースとは書いていないけれど、山頂方向に進みます。
 

そして4合目に到着です。こちら標高200m。山頂まではまだまだ先です。様々な植物、木々の間に整然としたスギが、とても美しく伸びています。青空の下、その整然とした様子が目立ちます。

現地の山麓や山頂にあった看板等によると、松前藩時代、薪やニシン加工の燃料として樹木が必要であり、松前藩の貴重な収入源として伐採されたことから、箱館管内の山は海岸から一里余りに渡り、木がほとんどなくなってしまったのだそうです。寛政11(1799)、蝦夷地が幕府の直轄地となり、享和元(1801)年、幕府によって巡視が行われた際、幕府の役人はこの現状に危機感を感じました。そこで伐採時の植林義務を定めて厳重に取り締まるべきだ、と報告を出したのです。当時北海道にはスギは自生していなかったそうですが、七重村(現在の七飯町)の倉山卯之助(うのすけ)氏がスギ苗木を育て、文化5(1808)年から7年かけて函館山にスギの植林が行われました。その後もたびたび苗木が植えられて、今のスギ人工林に至っているというわけです。

こちらは明治20年代、函館市東川町 願乗寺(現在の西本願寺函館別院)付近から撮影した函館山です。山麓の一部黒っぽい所は恐らく植林された場所と思います。下の図は現在の函館山で濃い緑の部分がスギ林です(写真・イラストは現地看板抜粋)。

スギは西日の当らない谷間で、腐植質に富む肥沃で湿気を帯びたところを好んで生育し、函館山では旧登山道沿い(水元谷周辺)の約1.5haに樹高約30m、直径が約80cmの大木が多く見られるそうです。

 
五合目に到着しました。標高218mです。
左に進むと千畳敷、右に進むと山頂なので、山頂へ向かいます。

第六番観音様が登場です。

 



第六番 大和国 高市郡
壺坂山 南法華寺
千手観世音

いわをたて みづをたゝへて
つぼさかの にはのいさごも
じやうとなるらん

標高250m、六合目に到着です。山頂の鉄塔が見えてきました。右手には視界が開け、海も見えてきました。

いよいよ7合目、標高279mです。 海の青さと空の青さの濃淡のコントラストが絶妙で、山麓の緑も鮮やかです。

車道に出てきました。横断歩道を渡って直進すれば山頂の展望台方向へ、左手後方に進むとつつじ山駐車場に向かいます。駐車場はかなり広々したスペースがとられていましたが、その奥の左端にひっそりと、観音様のお姿が…。第二十番と二十四番です。右下写真の黄色▲印のところです。

向かって右側が第二十四番。
第二十四番
摂津国川辺郡 
紫雲山 中山寺
二臂十一面観世音

のをもすぎ さとをもゆきて
なかやまの てらへまいるは
のちのよのため
向かって左側が第二十番。
第二十番
山城国乙訓郡
西山 善峯寺
千手観世音

のをもすぎ やまぢに むかふ
あめのそら 
よしみねよりも はるゝゆふだち
 
再び登山道コースに戻り、車道を渡り、階段を上って山頂展望台を目指します。
更にまた車道に出るので、そちらも渡って階段を上ると登山道左手に少し開けた場所があります。
その奥に二十一番、二十三番の観音様と石仏群が登場です。黄色の▲印のあたりです。
向かって右側が第二十一番の観音様、向かって左側が第二十三番の観音様です。石仏群になっており、それぞれ海に向かって立っています。
第二十一番。
第二十一番
丹羽国 南桑田郡
菩提山 穴太(あなお)寺
聖観世音

かゝるよに うまれ あふみの
あなうやと おもはで たのめ
とこえひとこゑ
第二十三番。

第二十三番
摂津国 三島郡
応頂山 勝尾(かちお)寺
千手観世音

おもくとも つみにはのりの
かちをでら ほとけをたのむ
みこそやすけれ

そして第二十一番、第二十三番の観音様、石仏群に向かい合うように、海を背にして無情和讃が掲げられて浮いました。
 「一人来て一人でかへる死出の旅 花の浄土へ参る嬉しさ」

いよいよ頂上まで、あと一息、というところに、ひっそりと第二十二番の観音様が登場です。海が広々とよく見えます。

第二十二番
摂津国 
補陀落山 総持(そうじ)寺
千手観世音
おしなべて たかき いやしき
そうじじの ほとけの ちかひ
たのまぬはなし

※現在こちらの御詠歌は人権意識から
「高き賤しき」が「老いも若きも」に
変わっているそうですが、看板が
立ち添えられた頃はまだ古い時代
だったのだろうと思います。

そしてついに山頂です!かなり強風でしたが、汗も吹き飛んで爽快です。

展望台側壁には昭和32(1957)年4月に函館市により設置された「伊能忠敬北海道最初の測量地」の碑がありました。

寛政12(1800)年、伊能忠敬によって行われた蝦夷地の測量は函館山が起点になったから(※5)だそうです。

<伊能忠敬北海道最初の測量地 碑文>
五月二十八日 新暦七月十九日
土用 朝五つ迄曇る 夫より
晴天江戸出立後の上天気なり
併し山々白雲おほし 
箱館山に登て所々の方位を測
夜も晴測量……

寛政十二年 一八〇〇年
伊能忠敬測量日誌より


200年以上前の時空を共有しているのかと思うと不思議です。

昼間の函館山は夜の函館山とはまったく別の表情を見せていました。青と白と緑がとても印象的な風景です。

北海道での登山、というとどうしてもヒグマの出没が気になりますが、北海道立総合研究機構によると離島や函館山など、完全に孤立している場所はヒグマは生息していない(※6)そうです。もちろん、マムシやスズメバチ、ウルシ(※7)には気を付ける必要はあるけれど、それは他の場所でも同じこと。通常の登山ルールを守れば、安全に登ることができます。ただし登山コース途中何度か車道を渡るので、車に注意は必要です。

函館山の登山、とっても楽しかったです。街からとても近いのに、自然も豊かで登山道もよく整備されていて、森林浴を十分満喫することができました!スギの植林に尽力された古の人々の努力を感じながら、そして観音様に見守られながらの登山も良いですね。


参考ウェブサイト
※1 函館山緑地パンフレット 歴史散策ガイド
※2 函館市公式トラベルガイド 函館山散策コース案内図
※3 函館山緑地パンフレット トレッキングガイド
※4 南北海道の文化財 函館山登山道の記″函館を讃える碑
※5 南北海道の文化財 伊能忠敬北海道最初の測量地
※6 北海道立総合研究機構 ヒグマの生態
※7 函館市ウェブサイト 函館山の危険な動植物 

 
函館山の豊かな自然と青い空、青い海、山頂を吹き抜ける風は
心と体を浄化して、しっかり充電することができますよ!
2018/6/4 長原恵子