病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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従病(しょうびょう)

「従病(しょうびょう)」とは、高島博先生(1912-1993)が作られた言葉です。病いに自分が従うのではなくて、病いを従えるということなのだそうです。

病いに従うといっても、ただ従うのではない。
また、病いの中に逃げ込んで
安住の地を見いだそうというのでもない。
従うと見せて、実は病いを従えてしまうという意味である。

病いを持ったまま、病いにふりまわされることなく、
どこまでも前向きの姿勢で強く生きぬき、
闘病するエネルギーを自己との戦いに向け、
人生の充実をはかる態度をいうのである。

これは繰り返すことのできないその人独自の人生を
大切にすることになる。


引用文献:
高島博(1974)『生きがい療法 −病気と仲よくする従病主義のすすめ−』祥伝社, p.64

私は自分ががんと診断された時、随分と気分が滅入りました。
がんと診断されて楽しい気分の人はいないと思いますが、その要因の一つとして「終わりが見えない」という点がありました。

それは一体どういうことなのか…?
毎日どなたの身体の中でも、日々がん細胞が数千個生まれると言われています。別にがん患者ではなくても。生きている限り。…ということは
「どんな治療をしても、がん細胞はこれから生まれる?」
「明日もあさっても、同じようにがん細胞が生まれる?」
「健康であっても、がん細胞が生まれる?」

あぁ…何だか途方もない道のりが続くような気がしました。
まるでゲームのテトリスのようです。
上から様々な形で落ちてくるブロックが隙間なく一列に並ぶと、消滅していく、あのテトリスです。一段消えて「できた!やった!」と思っても、また上からどんどんブロックが落下してくるのです。
私はあのブロックに、がん細胞の姿が重なってしまいました。
「いつまで、心配を続けなければいけないのだろう…」

しかし、人間の身体はよくできています。
「がん細胞」は生まれても、免疫を司るNK細胞によって日々しっかりと処理されることにより、「病気としてのがん」に至りません。
ですから健康な人は日々がん細胞が生み出されても、病気としてのがんにならないわけです。

「いつまで心配しなければいけないのか…などと落ち込むのではなく
いつでも、どんなことが起こっても対応すれば良いではないか!」
「明日もあさっても、同じようにがん細胞が生まれるなら、
明日もあさっても、自分の免疫(NK細胞)に頑張ってもらおう! 」

自分のこの身体と共に生きていくのであれば、身体の機能をうまく調整しながら、病気と付き合っていくことが大事なのではないかと思うようになりました。
そして「がん細胞はあったとしても、なかったとしても、自分が望むような生き方がおくれていれば、それで良いではないか。」と思うようになりました。「がん細胞があるかないか」に一喜一憂して、振り回される人生は御免蒙ると、思ったのです。

長く病気と付き合おうと覚悟を決めた時、高島先生の「従病」という考え方に出会い、一人よがりの考えではないとわかり、心がはるかに軽くなったのです!

病気から生まれる苦しみは、自分の心が生み出すもの。
だからこそ、自分の心を自分で舵取りすることにより、楽しく過ごせるようになれる。
「従病」という言葉はそうした可能性を思い起こさせてくれました。

 
行き詰まった時は、立ち位置を変えて考えてみると、道が開けるかもしれません。自分で自分を追い込まないでくださいね。       
2013/5/1  長原恵子