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絶望から転じた安らぎ

「困難な道と神様」「麻痺した右手で奏でるチター」のページで「テディ・ベア」の生みの親である、アポロニア・マルガレーテ・シュタイフ氏のお話を取り上げました。今回は自分の病気は治る見込みが難しい(右手と両足の麻痺)ことを知ったマルガレーテが、どんな風にその事実と向き合っていったのかご紹介したいと思います。(病気の発症についてはこちらをご参照ください)

マルガレーテは麻痺が治ることに希望を持ってすごしていました。しかし17歳の頃、新聞に掲載された病気に関する記事と出会い、大きく気持ちが変わっていきました。
ルードヴィヒ・ゼーリッヒミュラー医師の書いたその記事には、自分の症状とぴったり当てはまる病気のことが書かれ、自分の麻痺が治る見込みが難しいと知ったのです。
思春期の多感な年頃は、いろいろなことに心が揺れ動くものですが、これからの人生が自分の望んでいる方向とは違う道であるという事実は、あまりに重かったことでしょう。
その時、マルガレーテは次のように思ったのです。

わたしを見守ってくれたたくさんの人たち。
ひとりで立つことも歩くこともできなかったけど、わたしは決してひとりぼっちじゃなかった。いつも愛されていたんだ。
心のどこかで人をうらやみ、今の自分をゆるせず愛せなかったのは、わたし自身だった。

温かななみだが、マルガレーテのほほをぬらしました。
これからも一生歩くことはできないけれど、できることだってたくさんあるはず。

『もういいんだ。このままで……』

絶望と引きかえに得たものは、なんともいえない解放感と安らぎでした。
『自分に足りないものや決して手に入らないものを求め続け、心をかきみだして生きるより、あたえられているものに感謝して、今自分にできることをせいいっぱいやっていけばいいのよ』

マルガレーテは運命を受けいれました。
『神様は、ひとりひとりを愛し、
              いつもそばにいてくださいます』
ヴェルナー先生の言葉を思いだしました。そしてその言葉の奥深さに気づきました。
「お父さん、お母さん、姉さん、フリッツ、友だち、そしてチターの音色にも…わたしのそばにあるあらゆるものの中に、神様はおられたんだわ」


引用文献:
礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, pp.72-74

自分の病気を受容すること、そして今あるものに感謝することが、マルガレーテを絶望から救い、解放感と安らぎをもたらすことへとつながったのです。
「隣の芝生は青い」という言葉があるように、人は自分にないものに目が行き、どうしてもそれを手に入れたいと思いがちです。それは決してわがままな気持ちなのではなく、自然な心のはたらきです。
でも、理想と現実のギャップは、誰かが作るものではなく、自分の心が作り出したもの。なぜなら理想は、それぞれの人の心によって生み出されるものであるから。

病気によって自分の機能が失われたことを、マルガレーテが受け容れたのは、諦めではないと私は思います。
これまで自分にはなかった価値観、 たとえば 「立てないこと、歩けないこと、それも<あり>だ。それも<良し>だ。」と思える心へ変容したのだと思います。
それはとても達成することのできない「あるべき論」から、自分の心を解放することへとつながったのだと思います。
新しい価値観は、新たな幸せを運んできてくれるはずですから。
そして、できない自分を受け容れる、ということはそのままの自分全体を受け容れることであるからこそ、安らぎが得られるのだと思います。

 
どんなに努力しても治ることができない病気であれば、心の持ち方を変えて、お子さんの心の苦しみを変えていければ…と思います。  
長原恵子