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最近、学生時代のノートや配布資料等を整理しなくてはいけない…と一念発起しました。いつか整理しようとため込んでしまった資料。看護学校、大学、大学院の分を合わせると、相当な数に上ります。紙はPDF化しながら処分しているのですが、ページを開くと当時の思い出が蘇ったり、「こんなこと勉強していたのか」と懐かしく思ったり、なかなか進みません。
さてその中で、整形外科看護の授業で配布された資料を整理していたときに、障害を負って生きるということについて述べられた論文が出てきました。
古牧節子先生の論文です。

古牧節子(1986)リハビリテーション過程における心理的援助−障害受容を中心として−. 総合リハビリテーション, 14(9) pp.719-723

古牧先生は障害を負った方と周囲の人々との人間関係について「ジョハリの窓」を使って説明されていました。本人が他人に自分の障害を知られたくなくて、隠している領域が大きくなり、また周囲が本人を傷つけたくなくて、本人が辛くなるような現実を本人に告げなければ、本人の知らない領域が大きくなってしまうことは「秘密にしばられて、自然な交流ができなくなり、孤独に苦しむ結果になりかねない。」(前掲書 p.721)と記されてました。

身体の外見の特徴や機能の範囲は、人それぞれ異なります。
それを隠すべき「弱み」と考えてしまうことは、あらゆる面で妨げをもたらすような気がいたします。
「私はそういう人間なのです。それが何か?」そんな風に思えるようになってくれば、自分も相手も心の底の探り合いをしなくても良くなるはず。

さて「ジョハリの窓」ですが、これは1955年にジョセフ・ルフト先生とハリー・インガム先生によって発表された、自分自身を理解するための考え方を図示されたもので、ジョセフ先生とハリー先生の合作だから「ジョハリ」と呼ばれているとのこと。
英語の図をそのままご紹介しても、わかりにくいと思うので、その窓について、私なりに下の図を作ってみました。

 
ジョハリの窓 Johari Window
 

ここで人間には「unknown」未知の窓と呼ばれる領域があること、わかっていただけると思います。とても良いなあと思いました。
「私になんてできるわけない」と思うことが、たくさんあると思いますが、もしかしたら、自分や周囲が、ただそう思い込んでいるだけかも。
本当はできるかもしれないのに。
「いやいや、そんなこと、夢物語…」と思うかもしれませんが、自分も周囲も誰一人気付いていないのですから、良いではないですか。始めてみるのも。

先日、地域の母子保健事業で1歳半健診のお手伝いの仕事に行ってきたのですが、生後2-3ヶ月の頃にお宅に訪問させていただいた赤ちゃんがいらっしゃっていて、とても感動的でした。
ママの腕の中でねんねしていた小さな赤ちゃんが、自分の足で立って歩いて、楽しいこと、嫌なことを自分の言葉で伝えているのですから!
赤ちゃんは誰も「できるかな、できなかったら恥ずかしいな…」そんなことを考えて、成長しているわけではありません。
「できない」という枠は、大人になるにつれて、自分で作るもの。
そんなことを赤ちゃんから教えてもらいました。

 
限られた人生の時間の中で「unknown」の部分を、たくさん発掘していくことが、自分のよろこびにつながっていくと良いですね     
2013/11/25  長原恵子