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今年の初詣に行った東京都杉並区の大宮八幡宮でのことです。
午後4時過ぎ、日が翳り始めた頃に、あんまり太陽の光が美しかったので、賑わう参道の並木越しに、沈む太陽の写真をとりました。
あとで写真を見たら、それがレンズのせいなのか、シャッターをきったタイミングのせいなのか、太陽の光線の具合のせいなのか、場の気のせいなのか…、それはさておき、幻想的な感じに写っていました。

病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース) エッセイ「心眼と真眼」
2014/1/2 東京都杉並区 大宮八幡宮参道より見た夕陽を撮影

この写真を見ていたら、思い出した絵があります。
ワシリー・カンディンスキーの1926年の作品「Several Circles」です。
ちょうど今から5年前、京都造形芸術大学 通信教育部で所属していた歴史遺産コース専門講義科目の中に「近現代美術」という科目がありました。そこでカンディンスキーの絵を知るきっかけを得たのですけれど、スクーリング最後のレポートのテーマとして、私が選んだのがカンディンスキーの「Several Circles」でした。
「Several Circles」のキャンバスの上は光の届かない深い海のようでもあり、漆黒の宇宙のようでもあり、そこにいくつもの色の大きな丸、小さな丸が点在しているのです。そのいくつかは重なり合い、またいくつかは単独で浮かんでいる水の泡のような、星のような…。

S・リングボム(1995)によるとカンディンスキーはオズボーン・イーヴスの著書『色彩の力』を読み、その中で「霊なる私こそ本当の人間であり、肉体は私の従者である」としている箇所に記をつけ、肉体のはかなさを精神によって克服するために瞑想の練習も行なったそうです。
(参考:『カンディンスキー 抽象絵画と神秘思想』平凡社, p.168)

カンディンスキーが感銘を受けたイーヴスのの言葉を元に考えてみると、目から入った視覚刺激を脳で認識するのはまだまだ序の口であり、本来は内なる自分、霊(と日本語で書くとなんだかおどろおどろしいような雰囲気を醸してしまいますが…)、あるいは魂(と書いた方がまだ穏やかなニュアンスになるのかもしれませんが…)の目で見なければ、見落としているものがあまりにも多すぎるのかも。それは私自身に向けた自戒の意味でもあるのですが…。

大宮八幡宮で撮影した時には、私の肉眼にはこの情景はまったく見えていなくて、ただただ、木の葉の間から差し込む太陽の光が、あまりにも美しかっただけ。たまたま条件が重なり合って、写真として残された情景。
でも実際、私がいつも見ているものって、いったいどこまでが真実? 
そして、どこから何を見失っているのか?
しばらく考えてしまいました。

「心眼」と言えば真実を見抜く力を表しますけれど、心もまた、自分の脳が作り出しているものであるならば、本当に真実を見抜くような目…当て字で表すならば真眼(?)とでも言うべきでしょうか。そうした真眼をいつか持てるようになりたいですね。

目の病気や、脳の病気のために視覚が不自由になっていらっしゃるお子さんは、そうした真眼が豊かに伸びていくように、育ってほしい…と切に願います。


※文中で取り上げた作品「Several Circles」は所蔵美術館のウェブサイトで見ることができますので、興味のある方はぜひご覧ください。
http://www.guggenheim.org/new-york/collections/collection-online/artwork/1992
Wassily Kandinsky
Several Circles (Einige Kreise)
1926. Oil on canvas, 140.3 × 140.7 cm
Solomon R. Guggenheim Museum, New York,
Solomon R. Guggenheim Founding Collection

 
普段意識している身体の機能は、私たちが勝手に「そういうものだ」と思っているだけかも。どうか「病気だから…」と、めげないで。
長原恵子