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目があるから見えるといふものでなし

最近、中川一政画伯の随筆集『我思古人(われおもうこじん)』を読む機会があったのですが、あとがきとして入江 観画伯が綴られている中に、とても興味深いお話がありました。
それはある年、弥生画廊で開催された中川先生の個展で、書をご覧になった時のこと。入江先生はとても目を引かれる作品があったのだそうです。

人には目がある、但し目があるから見えるといふものでなし
白眼禅師


引用文献:
中川一政(1990)『我思古人(われおもうこじん)』講談社, p.256

白眼禅師とはどなたのことなのだろうか、と入江先生が中川先生にお尋ねになったところ、中川先生はご自分を指差して、小さく笑って「この人」と言われたそうです。
中川先生の作品の中に、富山の「ますのすし」のパッケージの絵があります。あれを見れば、一目で絶妙な鱒と酢飯と孟宗竹のバランスのおいしさが条件反射のように思い出されますけど、あの鱒のひょうひょうとした表情のおもしろさが、「この人」と笑った先生の言葉に通じるような気がしてなりません。

さて、 この話を読んだ時、クロード・モネ画伯のことが、頭をよぎりました。モネは「積み藁」や「睡蓮」などで皆さんもよくご存知の印象派の画家ですが、目のトラブルに長い間悩まされていたのです。
クロード・モネの年譜を調べてみると、それは20代の後半から記録をたどることができます。

※年譜はギュスターヴ・ジェフロワ著, 黒江光彦訳(1974)『クロード・モネ 印象派の歩み』東京美術, pp. 291-302を参考にしています。

1867年7月、ちょうど長男が生まれる前月、モネは一時目を病んでいたのだそうです。1890年7月にはリウマチを病んだことが記録されています。目については触れていませんが、重症のリウマチだったそうですから、もしかしたら強膜(一番外側の膜でいわゆる白目と呼ばれるところ)の炎症も起きていたのかもしれません。その年、晩夏から冬にかけて「積み藁」の連作を描いたのですから、大変だったことと思います。
そして1900年8月、モネは事故で片方の目の視力を一時失いました。
1908年春には病気がちで、視力に異常を来たし、1911年には視力はますます衰え、1922年、両目の白内障に苦しみ、9月には一切が不能になったのだそうです。そこで翌1923年、右目の手術を受け、満足いかない部分は眼鏡で補正したのだそうです。
画家にとって大切な目を患うとは、本当に大変なご苦労をなさったことでしょう。

そのモネについて、カミーユ・モークレール氏は1903年出版された『印象主義』の中で、次のような賛辞を記しています。

すべてこれらのものは、輝く原子のすばらしいあるいは烈しい調和の下に大きさと正しさと力をもち合わせていて、構築的である。(略)
眼が絵筆で分解したものを再構成し、人は、激しい雨となって振るような色斑の堆積を司る、科学と秩序を唖然として見るのである。それはまるで、各々の色が明確な役割をもつ楽器であり、さまざまな色合いによって、時刻が継起的な主題を現わすオーケストラの音楽のようなものである。
モネは研究したそれぞれの土地固有の性格を理解することにかけて、もっとも偉大な風景画家に匹敵する。この土地の性格を理解することこそ、彼の芸術の長所にほかならないのである。


引用文献:
ギュスターヴ・ジェフロワ著, 黒江光彦訳(1974)『クロード・モネ 印象派の歩み』東京美術, pp. 260-261
※カミーユ・モークレール(1903)『印象主義』の引用箇所

モークレールの言葉を借りて考えてみれば、この世界を構成している色とはそれぞれが組み合わさってオーケストラーのようにハーモニーを作り出しているのであり、見る、ということは対象の性格までも理解し、読み取ることだと言うことができるでしょう。土地の性格を理解して表現するとは、ものすごい能力だと思うのだけど…。
中川画伯が「目があるから見えるといふものでなし」と言ったのは、こういうことなのかもしれませんね。見えるということは、目から入った情報以上のいろいろな組み合わせを駆使して、初めて「見えている」と呼べるのかもしれません。

そう考えると、目が不自由なお子さんにとって、補い支えていくこととは単純に「そこに何が見えるか」はもちろんのこと、そこにあるものがどのような意味をなしていくのか、といったことを考えるような力が養えるように導くことなのかもしれません。

 
目が不自由なお子さんが視覚以外の力を様々に発揮して、自分の新たな世界を作っていけますように…。
長原恵子