病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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今年は午年ですが、皆さんは「馬」を説明しようと思った時、どんな言葉やイメージが頭に浮かびますか?
私は30歳の誕生日の時に「普段やらないこと、一生の記念に残ることをしてみたい!」と思って、函館の馬牧場で、乗馬をさせてもらいました。ポニーではなくて、本当に大きな馬です。その時の馬の体温と馬の背に揺られた躍動感がとても鮮明に思い出されます。牧場の中をゆっくり、馬に乗って何周か歩いた後に、牧場周辺の道を馬の背に揺られて散歩しました。馬の背は思った以上に高く、無防備な自分の命が馬の背と、手綱にかかっているのだと思うと、最初は本当に怖くてどきどきでした。
でも少し慣れてくると、両足から伝わってくる馬の体温を感じて「馬も生きている。こうして自分の体重を支えながら、今、歩いてくれている…」と馬に感謝する気持ちが湧いてきました。そして周囲の木立や遠い山の稜線を見ながら、壮大な自然の中で、自分は何とちっぽけな存在だろうかと謙虚な気持ちを呼び起こされたものです。

前置きが長くなってしまいましたが、ヘレン・ケラー女史はサリバン先生と助手のネラとの間で「馬」という言葉から何を連想するか、話し合ったことがあります。このきっかけはアトランティック・マンスリー誌に寄せられた「目の不自由な人の心理は、目が見える人の心理と少しも変らない」というチャールズ・マギー・アダムズ氏の文章を、ネラがヘレンに読み聞かせたことがきっかけでした。(ネラ・ブラディー氏はヘレンの自叙伝『The story of my life』に続く新刊出版のため、ダブルデー・アンド・ページ社から、ヘレンとサリバン先生の元に助手としてこられた方です。)
アダムズ氏はその文章を寄稿された19年前から失明していたそうで、ご自身の経験も大きくその主張に反映されていたことでしょう。
ヘレンは馬という言葉から何を思い描いたのか、見てみましょう。

アニーがまずへレンに、“馬”という言葉からどういうことを連想するかときいた。アニーとネラの場合、馬という語は当然ながら視覚的なイメージを呼び起した。アニーは見事な栗毛を、ネラは連銭葦毛の馬を思い描いた。

それにひきかえてへレンのイメージは、“波打つ筋肉”といった、触ってわかる、動的なものだった。
へレンはついで、「長い顔」といいつつ、両手でその長さを示した。また「短い毛、たてがみ、そして尾」と。
「色は何色?」と“先生”がきく。
「それは話を聞きながら想像するわ」とへレンが答える。
「耳をびくびくさせたり、しっぽを振り立てたりしていれば、癇が強い馬だろうと思うわけよ」


引用文献:
ジョゼフ・P.ラッシュ著, 中村妙子訳(1982)『愛と光への旅―ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン』新潮社, p.391

同じ言葉でも、こんなに想起するものが違うのですね。
ついつい、私たちは自分を基準に考えてしまいます。同じ言葉から、きっと他人も同じように考えるように、何となく思い込んでいるもの。でも、視覚から入ってこない情報はこんな風に、いろいろな角度からそれを理解し、捉えようとするのですね。
言葉から想起する力も、そしてそこから広がる世界も私たちの想像を遥かに超えたもの。
アダムズ氏は「目の不自由な人の心理は、目が見える人の心理と少しも変らない」と主張されていますが、「目の不自由な人の感性は、目が見える人の感性以上に深いものがある」そんな風に私は思います。

 
目と耳の不自由なお子さんの世界は、遥かに底も奥行きも随分深いもの。だから、いろいろな刺激と情報を伝えてほしいと思うのです。
長原恵子