病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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病気と一緒に生きていくこと
ポジティブな努力が生んだ新たな能力(脳の可塑性)

生後、何らかの理由で脳に酸素が十分行きとどかないために、脳の神経細胞にダメージが起こり、麻痺が生じるお子さんがいらっしゃいます。ご両親は「この子のために、何とかしたい」その一心で、リハビリに取り組んでいらっしゃると思います。
ご家庭によっては、遅々として進まない回復に、絶望的な気持ちで過ごしていらっしゃるかもしれません。でもどうか諦めないでください。
人間の脳は、私たちの常識的な理解を覆してしまうような事柄を起こす力ももっているようです。先日読んだノーマン・ドイジ先生の本『脳は奇跡を起こす』の中に、そうしたお話が登場していました。
ある高齢者の方の例ですが、「高齢者であってもこれほど回復するのであれば、お子さんにはもっと大きな可能性があるのでは…」という思いに駆られましたので、ご紹介したいと思います。
そのお話は、本当に驚きの連続なので、ぜひご本人かご家族が直接話しているものはないのかと探していたところ、こちらのサイトにありました。息子さんが電話インタビューを受けられた時の、一問一答の模様が英文で克明に載っていたのです。今回はノーマン・ドイジ先生の本と息子さんのインタビューをあわせ読んで、こちらに書き出していきたいと思います。
(双方の内容には差異もありますが、その場合は息子さんが直接話された内容の方を優先して、書き出しています。)

1956年、ニューヨーク市立大学で教鞭をとられていたペドロ・バキリタ先生(65歳)は、ある日脳卒中で倒れました。病院に運ばれ、脳卒中の初期治療が行われて命は取り留めました。そして退院3日前になって、ようやくメキシコシティに住んでいた息子のジョージさん(19歳, 学生)に連絡があったのです。ジョージさんはそこで初めて父が脳卒中に倒れたことを知り、驚きました。今では想像もつかないような状況ですが、当時、長距離電話は気軽にかけられるような時代ではなかったのです。

ジョージさんは急いでニューヨークまで飛行機で飛び、そして帰りは自分が運転する車で、バキリタ先生を地元につれて帰り、入院の手配をとり、4週間のリハビリプログラムが始められました。しかし残念がら、回復の兆しはありませんでした。
そこでジョージさんは自宅で父と暮らしながら、自己流の自由なリハビリを展開することとなったのです。母は既に他界し、兄ポールさんはアメリカで暮らしていました。

その生活は、バキリタ先生に大きな転機となったのです。
病院で諦められた麻痺は回復し、生活をエンジョイできるようなったからです。寝たきりだったバキリタ先生が自由にハイキングにもでかけられるようになり、68歳の時に再びニューヨーク市立大学の教壇に戻り、更にその2年後にはサンフランシスコ州立大学に移って教鞭をとり続け、再婚もされたのだそうです。

バキリタ先生の最期は、脳卒中によるものではありませんでした。脳卒中の発作から7年後、コロンビアの8000フィートのボゴタ山に登山した時、バキリタ先生は風邪にかかったように感じる体調不良があり、その後、アメリカに戻ってサンフランシスコに到着した時、心不全が起こり、心臓発作で亡くなったのだそうです。

バキリタ先生は解剖を受けられましたが、そこで待っていた結果は息子たちに大きな衝撃をもたらしました。なぜなら錐体路(皮質脊髄路)といって大脳皮質と脊髄を結ぶ神経線維の大きな束の右側が、ほとんど大部分、97%がダメージを受けていたからです。それは65歳で脳卒中を発症した時のダメージがそのままだったことを表していました。麻痺はそのために起こっていたのです。でもどうして麻痺が治ったのか?

解剖結果を見た息子ポールさん(ジョージさんの兄)は、次のように話しています。

スライドは、卒中で父が脳に大きな損傷を受け、それが治癒しなかったことを示していたんです。それにもかかわらず、父の機能はあんなにも回復していた。
腰を抜かしそうでした。呆然としましたね。
『こんなにダメージがあったのか』という気持ちでした。


引用文献:
ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』
講談社インターナショナル,pp.38-39

ポールさんはその当時、眼球の動きに関する神経科学について研究していた医師でしたが、父ペドロさんの脳卒中からの回復があってから、リハビリ医学に進まれた方です。父が倒れた時、まだ学生だった弟ジョージさんが、父に行ったリハビリ介護について、兄の立場から次のように話しています。

つまりこういうことです。ジョージと父が工夫した訓練によって、父の脳はどうにかして脳自体を再編成した。
わたしは、その瞬間まで、父の回復がそれほどまでに驚異的だとは気づいていませんでした。脳スキャンがない時代ですから、どの程度の損傷かわからなかったんです。
ですから、患者が回復すると、最初からそれほどひどい損傷じゃなかったと推測されがちでした。


引用文献:前掲書, p.39

その回復ぶりは現代医学ではあまりにも信じ難いものであり、解剖した医師は息子のポールさんに、症例発表しようと、論文の共同執筆まで持ちかけてきたそうです。(ポールさんは断りましたが…)

脳の可塑性について考えると、わくわくしてきますね。
ダメだ、と思われている今の常識は近い将来、全く違う展開になっているかもしれません。
この驚異的な回復には、2つの大切な要素が土台にありました。
1つは「良くなりたい」と願う強いポジティブな意志。
もう1つは「諦めないでリハビリを続けていくこと」
それはまさに「自分が自分の人生を作り出す」ことだと言えるでしょう。それでは次に、これらについて詳しく考えていきたいと思います。

不可能を可能に変えていく力が、人間誰にも潜んでいるのだと思います。あなたのお子さんもその1人です。
長原恵子