病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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病気と一緒に生きていくこと
葉っぱ探しを通して気付くこと

生まれた時から何かの病気であっても、大人が考える程、お子さんはそれを大きな苦と捉えていないように見受けられることが多々あります。小児外科病棟に勤めていた頃、重い病気で手術が必要で、生まれてから何ヶ月もの間入院していたお子さんに何人も出会いました。そのお子さんが見せる屈託のない笑顔や純粋な瞳を見ると、小さなこどもたちだけれども、とても立派なOld Soulの持ち主だったのだろうなあと思います。
そして不自由さを最初の出発点から抱えて生きて行くことは、生きる1日1日がきっと、そのお子さんをより一層高みへと引き上げて行くのだろうと思います。

不自由さを自分自身の一部として過ごしてきたお子さんが、 やがて保育園、幼稚園、小学校に上がるようになってくると、いくらか事情は変わってきます。自分を他のお子さんと比べるようになり、また他のお子さんからその違いを指摘されることによって、今迄当たり前だったことが、当たり前と思えなくなってくるのです。大勢とは違う自分の身体の特徴に対して「自分は自分」と考えるお子さんもいらっしゃるでしょうし、「どうして?どうして?」と問いが続くお子さんもいらっしゃることでしょう。

その「どうして?」があなたに向けられた時、胸が締め付けられる思いに駆られるかもしれません。お子さんが納得できるような言葉を選ぼうと思えば思うほど、言葉に詰まってしまうかもしれません。

そのようなお子さんやご両親にお伝えしたいお話を、先日読んだアメリカの医師 ラリー・ドッシー先生の本の中に見つけました。ドッシー先生は人間が病気から治っていこうとする力と人間の心、祈り等について研究され、一般市民向けにもわかりやすい言葉でいろいろと本を書かれていらっしゃる方です。その中の一冊を読まれたある女性から、1992年4月、ドッシー先生宛てにお手紙が送られてきたのだそうです。その女性はご自分の小さい頃を回想し、お手紙の中に綴っていらっしゃいました。シンプルな内容だけれども、非常に奥深いことを示しています。きっと小さな年齢の病気のこどもたちの心の中にも、その背景にある真理が通じるのではないかと思いましたので、ここに取り上げます。

幼い頃、私と姉は自分たちで考え出した「完全な葉っぱ」ごっこをしてよく遊びました。
家の裏庭で木という木を丹念に調べ、大小どんな木のでもいいから、傷のない完全な形の葉を探すのです。

先に「完全な葉」を見つけたほうが勝者になりました。信じてもらえないかもしれませんが、一度のゲームが何時間たっても終わらないことが、特に夏の終わりや秋にはよくありました。
その頃にはもうほとんどすべての木の葉が、虫に食われたり、端っこがしなびたり、その他の数え切れないほどの方法で何がしかの傷を受け、不完全な形になっているのでした。

「完全な葉っぱ」ごっこは、単なるゲームではありませんでした。遊んでいた当初は気づきませんでしたが、それは私たちに、同じ一枚の葉のなかにも美しさと醜さ、完全さと不完全さが共存しうることを教えてくれていたのです。

おそらく葉っぱだけでなく、私たち人間においても同じことがいえるのではないでしょうか。


引用文献:
L.ドッシー著, 森内 薫訳(1995)『癒しのことば―よみがえる<祈りの力>』春秋社, p.37, ドッシー先生あての私信 差出人不明

たくさんの葉っぱが1枚として同じものがないように、それぞれ少しずつ、あるいは大きく違うところがあります。でも、同じである必要はまったくないのです。
ほかのみんなと同じであることに安心感を覚えるのも、確かな事実。でも目に留まりやすい価値観に押し流されて、お子さんが自分の居心地の悪さを感じてしまうとは、なんと残念なことでしょう。世の中は広いのです。そこには多様な価値観が存在するのだと、知っていくことも、大切な成長過程の一つではないかなあと思うのです…。

 
風に吹かれた落ち葉が道路の上に目立つ季節になってきました。「完全な葉っぱ」ごっこをお子さんと一緒にやってみませんか?自然を通して、あなたのお子さんも大切なことに気付くはずです。      
長原恵子