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お子さんに病名を伝えることについて、どうしようかといろいろ考えあぐねているご両親もいらっしゃると思います。「病気や障害を伝えることの意味〜親にとって、子にとって〜」では、自閉症の方ご本人が、これから病名を伝えようとするご両親に向けて、その伝え方がどういうものであってほしいかを綴ったメッセージをご紹介いたしました。

今日は病名を知ることによって、お子さんの気持ちがどう変わるのか、そして、どんな支援を望んでいるのかについて、アメリカの自閉症の方、トーマス・A.マッキーンのお話をご紹介したいと思います。

20代半ばだったトーマスさんは、通っていたコミュニティカレッジも辞め、その後、プロポーズした女性との別れを経験し、あれこれうまくいかない自分に対して悩んでいました。そこでトーマスさんは、自分に何か原因があるのではないかと考え、それをはっきりさせるために、自分の過去を詳しく知ろうとしました。その手段が自伝を書くことだったのです。みなさんは自分をそんな風に考えたことがあるでしょうか。そうした問題意識の高さや追求方法について、トーマスさんには他の人にはない、強さがありますよね。驚きです。

さて1991年3月、トーマスさんは病院にも連絡して、これまでの記録を請求しました。そこで記録の中に、何度も広汎性発達障害(PDD)という表記が登場することを知ったのです。トーマスさんはPDDについて、医学雑誌でいろいろと調べ、オハイオ州立大学のナイソンジャー・センターで自閉症との確定診断を受けました。

トーマスさんは、気持ちを次のように記しています。

このことは、もしかしたら悲しいできごとになっていたのかもしれない。でもふたを開けてみたら、すてきなできごととなった。自分の悩みに、ようやく名前がついたのだし、この悩みと戦う武器があるはずだとわかったのだ。そしてぼくは知ることになる。その武器とは、知識なんだと。(略)

とにかく必死だった。自閉症に関することなら、知りうることは全部知りたい。そうしないと、自分の人生、何ひとつ値うちのあることをできずに終わってしまう。1)

ぼくはずっと、自分のような困難は、だれもが当たり前に経験することなのだと思っていた。そして、どういう理由でだか、ぼくはみんなよりも対応がへたなんだろうと思っていた。
ようやく診断名を知ったことで、肩の荷がおりた。2)


引用文献:
1) トーマス・A.マッキーン著, ニキリンコ訳(2003)『ぼくとクマと自閉症の仲間たち』花風社, p.74
2) 前掲書, p.105

病名を知ることは、心の衝撃をもたらすのではなく、トーマスさんにとっては、霧の中からの解放のようなイメージだったのかもしれません。
何が何だかわからないけど、自分はどうやら他人とは何かが違って、その違いはその他大勢の他人が占める社会の中では、自分の生き辛さにつながっていたのですから…。

トーマスさんは、いろいろな心理療法を受けました。でもそれは必ずしも、本人にとってプラスに働いたわけではなかったようです。
決して心理療法が悪いわけではなく、またトーマスさんが受けた当時と現在では、そのやり方や内容もずいぶん異なっているでしょう。ただ、当時のトーマスさんにとって、当時受けたやり方はあっていなかったのです。

心理療法もずいぶん受けたが、効果があったとは思わない。施設で受けた心理療法には、グループ・セラピーを中心とするものが多かった。ほかの参加者たちの目には自分がどう見えているか、みんなに批判されたり、意見を言われたりしてそれを聞くという形だ。そうでなければ、地下の診察室でお医者さん(たち)と向かい合って今このとき、どんな気持ちを「感じて」いるかを語るのだった。
どちらのセラピーにも、それなりの利点はある。そのことはだれもが認めるところだろう。でもそれは、当時のぼくが必要としているものじゃなかった。ぼくだって、もっと後になれば、この種のセラピーが必要になったかもしれない。でもその前に、もっと別のものが必要だった。そして、その「別のもの」は、その病院では提供されなかった。

ぼくがどんな気持ちかなんて、きく必要はなかった。きかなくたって、見ればすぐにわかっただろうに。ぼくは混乱していて、歯がゆくて、死ぬほど怖かった。ぼくの気持ちなんて、それで全部だった。本当にそれだけ。実に単純な話だった。混乱していたのは、自分はどこが悪いのか、なぜいろいろうまくいかないのか、さっぱりわからないから。歯がゆかったのは、どうすればいいか、どうすれば解決できるか、わからないから。そして怖かったのは、うーん、そうだね、ずっと、いつでも、怖いものだから。


引用文献:pp.163-164

それでは、トーマスさんはどんなことを望んでいたのでしょう。

ぼくに必要だったのは、だれかが目の前に座って、説明してくれることだった。
「いいかい、トーマス君。これが問題の正体だよ。名前はこういって、意味はこれこれこういうことなんだ。
耳が痛くなるのも、このせいだし、だれかに抱きしめてもらわずにはいられないのも、ほかのみんなとは物の見えかたがちがうのも、このせいなんだよ。
食べ物が食べられないのも、勉強がわからないのも、数学が理解できないのも、作曲や演奏がほかの人よりじょうずなのも、自分の世界ヘ逃げこんでしまうのも、人が怖いのも、これのせいなんだ。
そして、こういった問題と折り合っていけるよう、この病院ではこんな援助ができるよ」
って言ってくれればよかったのだ。

これだけのことなのに、何がそんなに難しいんだろう?
どうしてこれをやってくれなかったのだろう?
こうして説明してくれていたら、ぼくだって、少なくとも、自分が何と闘っているのか知ることができたのに。相手の正体も知らずに闘うなんて、できるものじゃない。


引用文献:pp.164-165

自分の抱える問題の原因(病気)をとにかくきちんと知り、理解し、そこから生まれる(あるいは生まれてくるかもしれない)問題とうまく折り合っていくこと…それはきっと自閉症だけでなく、すべての病気に通じることですね。避けて通れるものであれば、敢えてそれを直視する必要はないかもしれないけれど、自分にとって一生共に抱えていくものですものね。
そして病気を「なかったこと」にするのではなく、うまく折り合いをつけていくことこそが、すべての始まりにつながるような気がするのです。

 
「知識を知恵に変えていく」私が20数年前の看護学生時代に学んだこと。それはきっと、うまく折り合いをつけることにつながるはず…。
長原恵子

関連のあるページ(病名告知):
病気や障害を伝えることの意味〜親にとって子にとって〜
(東田直樹『あるがままに自閉症です』より)