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外資系企業の日本法人社長、日本経済団体連合会の初の女性役員、審議議員、副議長、内閣総理大臣の諮問機関である規制改革推進会議のメンバー、2017年4月には雑誌「フォーチュン」が選ぶ「世界の偉大なリーダー50」として唯一日本人として38位でランクイン、そして一人の娘の母…と書くと、公私ともにどんなサクセスストーリーを持つ女性だろうかと想像してしまいます。しかし本人は「はっきり言えば裏街道人生ね。」(※1)「キャリアの最初に王道から外れて、オフロードを自力でブルドーザーみたいに切り開いてきました。」(※2)、そんな風に自分の人生をお話されます。なぜなら彼女は22歳の時、これから大学を卒業して新しい門出を迎えるばかりという時期に病に倒れたからです。そこから社会復帰までに3年もの月日が流れる…という経験をされました。今日は吉田晴乃氏のインタビュー記事から病を乗り越えた軌跡について、読み解いていきたいと思います。

※1 引用文献 A:
「苦境のおかげで今の私がある」 吉田晴乃インタビュー, 『週刊ダイヤモンド』104(31), 2016年8月6日号, p.50

※2 引用文献 B:
「仕事も人生も丸ごと私流! (1)BTジャパン 社長 吉田晴乃さん, 『日経ビジネスassocie』16(11) , 2017年10月号, p.55

1987年、もうすぐ大学卒業を控えた吉田氏はこれから社会人に向けて…というその時期に、突如、病に倒れました。原因不明の病気。続く高熱、食欲不振で身体は痩せ細り、美しい髪もすっかり抜け、視力も落ちていきました。就職するはずだった大企業の内定は取消、大学卒業を1年延ばすこととなりました。突然思うようにならなくなった身体へのとまどい、新しい社会人生活の出鼻をくじかれた悔しさと焦り…それまで元気に大学生活を謳歌していた吉田氏にとって、本当に大きな衝撃だったことでしょう。彼女は病院のベッドの上で、お見舞いに来る姉が持参した洋画のビデオを繰り返し見て過ごしました。やがてなかなか治らないその病状のため、病院を転々とすることになったのです。

一流企業で活躍したり、華やかな結婚式を挙げる彼女たちを横目に、なんで私だけと思いましたよ。悲しみに暮れながら床に伏せっていると、夢を見ているのか、現実なのかだんだん分からなくなる。このとき、人間って死んで全て終わるのではなく、エネルギーや思いみたいなものはあり続けるんだという観念を持ちました。科学的に証明できなくても、そう思えるんだから仕方ない。

引用文献:前掲書 A, p.50

そしてついに吉田氏は地方のホスピスへ入院することになったのです。

入院した翌朝4時、畑のど真ん中へ放り出された。
寒い冬にですよ。
「おまえは社会に見捨てられた。あそこに見えるのが病院の明かり。生きたいなら、這ってでも戻ってこい」と医者は言う。
その場にしゃがみ込んでいると、「こんな所で死んでたまるか」という思いが沸々。10キロメートルの道を這って帰りました。
医者は私の生命力を引き出そうとしていたんですね。

引用文献:前掲書 A, p.50

彼女が病に倒れる前、就職活動の頃は折しも男女雇用機会均等法が施行された年でした。とは言っても実際は、男女平等な就職採用を得られるのはほんの一部の人ばかり。結局、そうした現状に諦めて親御さんの関係で就職内定を得た吉田氏。厳しい就職戦線の中で努力してようやく掴み取った内定だった訳ではありませんでした。また、まだ元気だった頃、親御さんが買ってくれた車を「なんだ日本車なの」と言ってしまような大学生だったそうです。吉田氏は当時の自分について「人間としてどうかしてましたよね。」と振り返ります。そしてもし病気にならなかったら? という問いかけに彼女はこう答えました。

そんな自分、怖くて考えられません。
病気は苦しいものでしたが、矯正の時期だったんだと思います。

引用文献:前掲書A, p.50

そして彼女の中で何か覚悟のようなものが生まれたのです。

ベッドから天井に向かって「世の中に役立つ人間になりますから生かしてください」と訴えた。

引用文献:前掲書A, pp.50-51

寒い冬空の下「こんな所で死んでたまるか」と奮い立った反骨精神は決して自分の欲望を追求するために生きるのではなく、世の中に役立つために生きる道を選んだわけです。どうか自分の立てた誓いを聞き届けてほしい、その誓いを成し遂げるために必要な健康と体力を得たい…そういう必死な思いが、ひしひしと伝わってくるようです。その願いは聞き届けられました。そして前述のように、病気は矯正の時期だったと吉田氏は発言していますが、その矯正は自分の人生観、ポリシーにも及んだのです。

生き延びて社会復帰した3年後、終わりがないんだったら、自分で納得できる人生を、自分の責任で、丁寧に正直につくっていこうと決めた。
すると「他人がうらやましい、不公平だ」とか「端折って近道しよう」 という考えは消えていきました。

引用文献:前掲書A, p.50

これからの人生について自分の責任で、丁寧に正直に…そのように思うとは、すごいことですね。誰かにそう教え込まれたのではなく、自分でそう思ったのですから。誰しも易きに流れがちではあるけれど、それでも自分は自分、と自覚して近道の人生を手放そうとすることは、辛かった病床での誓い「世の中の役に立つ人間になりますから…」、あの時の初心をずっと持ち続けていたからでしょう。
ただ、どんなに自分が心を律しても、世の中とは無情なものです。吉田氏の履歴書の大学卒業後の欄に、書ける職歴はありません。彼女は当時26歳を迎える年になっていました。あの頃の社会は女性の年齢をクリスマスケーキに例えて、25歳が一つの区切りであるかのように揶揄する表現が横行する時代でもありました。職歴もなく、もう25歳も終わってしまおうかというその心境は計り知れないものがあります。
しかしながらそんな1990年、彼女の元に就職のオファーがあったのです。大卒で英語が話せるということで、外資系企業の日本法人から声がかかりました。吉田氏は幼い頃から祖母に英語を教わり、英語教育に熱心な高校に通い、また病床で繰り返し見ていた洋画ビデオが、思わぬところで自分を救ってくれることになったのです。人間何がどういうタイミングで花開くか、わからないものですね。
その後、吉田氏は数度転職を行い、現在の職へ至っています。私生活でも結婚、出産、離婚を経て来られました。また1995年から2004年まではカナダ、アメリカで生活されました。異国での生活、仕事、そして離婚後がむしゃらに働いて娘を育て上げた月日…いろいろな紆余曲折を経てこられた人生でしたが、その過程を吉田氏は次のように振り返っています。

病歴しかない女性に仕事の選択肢などなかった。自分で営業先を見つけて結果を出すしかありません。逃げ道がない人間の集中力ってすごいの。10キロメートルを戻った、あの力です。

どんなキャリア設計をしてきたのかとよく聞かれますが、そんなのない。必死だった。
ただ、自分の半世紀を振り返ってみると、起こったこと全てが完壁な順番。何かの目的のために完壁な順番、タイミングで壁に出くわしたような気がする(笑)。

苦境って算数の宿題みたいなもの。
つらくても九九や方程式を覚えたでしょう? それが次のステージで役に立つ。だから、「こんちくしよう」と言いながら「これもきっと何か意味がある」と考えるんです。

引用文献:前掲書A, p.50

現在吉田さんはお元気に活躍され、高さ14センチのピンヒールを履きこなし、朝は自分で挽いた豆でコーヒーを淹れて飲むことが至福の時間だそうです。八面六臂の活躍で、日々猛烈な忙しさですが、毎週末には40キロ走って、頭の中を空っぽにするのだそうです。どんなに年を重ねても、端折って近道する考えを捨てたあの若き日の自分が、いつまでも心の中に居続けているのでしょう。

――今、突然死んだら悔やみますか。
いつも全力投球。死期が分かったところで出せる力は同じでしょうね。 生きるために稼ぐことを優先し、手をかけてあげられなかった娘に償いはしたいかな。思いがけず死んだら、肉体なきおばあさんとして孫の面倒を見るわ。孫が空を指して笑っていたら、それは私ね(笑)。

引用文献:前掲書A, p.50

死期を知るかどうかによって自分の人生が左右されない…それは損得勘定なしに、今を一生懸命に生きている心の現われですね。そして吉田氏のこれからの人生の方向性は次の言葉に集約されていると思います。

「今後は娘の世代が本当に生きたい人生を送れるように、私の使える能力を200%発揮していきます。」

引用文献:前掲書 B, p.57

参考文献:
「仕事も人生も丸ごと私流! (1)BTジャパン 社長 吉田晴乃さん, 『日経ビジネスassocie 』16(11) , 2017年10月号, pp.54-57

吉田晴乃「The DIGITAL POSSIBLE 第四次産業革命時代における女性の活躍」, 『技術と経済』(600)2017年2月号, pp.52-58

「苦境のおかげで今の私がある 吉田晴乃インタビュー」『週刊ダイヤモンド』104(31), 2016年8月6日号, pp.50-51

「ハイヒールで戦闘モード 経団連役員はシングルマザー ひと烈風録 第16回 BTジャパン社長、経団連審議員会副議長 吉田晴乃」『週刊東洋経済』第6612号(2015年8月29日), pp.40-45

 
病によって得たものは、その後の人生の飛躍に必ず繋がっていきます。病が醸成し、鍛え上げた自分の心は新たな未来を引き寄せるのですね。
長原恵子