病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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家族の気持ちが行き詰まった時
祈りと感謝

病気のお子さんのご両親にとって、思い悩むことは様々だと思います。
「どうしてうちの子が病気にならなくてはいけないのか」
「なぜもっと早く治らないのだろうか」
「小さい身体なのにたくさん薬を飲ませ、いくつものチューブや医療機器につながれているのはかわいそうだ…」
そのような焦りやいたたまれない気持ちが交錯しているかもしれません。
また他のお子さんと同じように体験をさせてあげたいという親心から、
「自由に外で遊べなくてかわいそうだ」
「学校に行って友達に会ったり、クラブ活動にも参加したいだろうに…」と、病気によって生じる生活の制限を自分の責任のように感じ、申し訳なく思う気持ちがあるかもしれません。

そのような方に、今日は新約聖書の言葉をご紹介したいと思います。
キリスト教の信者ではありませんが、良い言葉だなぁと思いますので…

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。


引用文献:
新共同約(2012)『The Study Bible 新約聖書』
フィリピの信徒への手紙 4章6-7, 日本聖書協会, p. 366

以前「明日のことは思い悩むな」でマタイ6章の言葉をご紹介いたしましたが、ここでも同じように思い煩うことを止めるように書かれています。
そしてここではそれだけでなく、感謝を込めるようにと示されています。
自分の力ではどうにもできないことが、世の中にはたくさんあります。
日本語で「神頼み」という表現を用いると、大変な問題に対して自分がまったく骨を折らないまま、神様に解決を求めて問題を丸投げするような、どこか狡猾な印象を持たれてしまうかもしれません。
しかしながら神様、或いは人によっては仏様、または信仰の対象としている「何か」に対して願う時、同時に感謝の気持ちを持つということは、とても大事なことのように思います。

2013年、アルフォンス・デーケン先生のキリスト教入門講座(前期)に出席させていただいた時のことですが、デーケン先生は「日本で<祈り>、というと何か自分のお願いごとを頼むことを思い浮かべるかもしれないけれども、祈りとは感謝を表す時にも行うものでもある」とおっしゃっていました。
「どうか我が子の病気を治してください」
「どうか我が子の痛みをとってください」
そのように祈りたい気持ちと共に、
「今日は我が子が昼食の後、頭が痛いと言わないで、1時間ゆっくりお昼寝できたことに、感謝いたします。
そして、 どうか今晩もぐっすり眠れますように、お願いいたします」
といったふうに、何か感謝を持ちながら、祈りをするということは大事なことのように思います。

祈る時は、できないこと、今そうではないことが反対の状況になるように望んでいるからこそ、祈るのです。ただ、そのような時は欠けていることばかりに目が向けられてしまいます。

でも、よく見てみると、そのような状況の中でも、できていること、叶えられていることはいくつもあるのです。たとえそれが小さなものであったとしても。
感謝をするということは「何にも良いことがない…」と思っている時の視点や思考、心の向き方を変えるきっかけになるのではないでしょうか。
そして何より感謝の気持ちが生じる時、その瞬間だけは怒りや悲しみの気持ちが心の隅の方に押しやられているはずです。
それは、たとえ一時的であったとしても、あなたの心を解放してくれているのだと思います。

 
お子さんの病気が治りますようにと祈る時、感謝の言葉を1つあわせていただき、あなたの心が苦悩から開放される瞬間が訪れますように…。
長原恵子