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家族の気持ちが行き詰まった時
グローブに縫い付けたマジックテープ

もしもお子さんが医師から「これからはいはいもできないし、歩けないし、お話しもできない」そう言われたらどんなにショックでしょう。
でも人間には遥かに大きな力強い能力があることを、忘れてはいけません。本人や家族の意思の力と、続ける努力と、適切な働きかけによって、思わぬ変化が起きることがあります。

それをアメリカの行動神経科学者であるエドワード・タウブ(Edward Taub)先生のクリニックに通っていたお子さんが教えてくれます。
タウブ先生は手足の不自由さがあるお子さんたちに、いろいろな取り組みを行わせました。不自由な指でシャボン玉を割らせたり、ボールを弾ませて穴に入れたり、パズルのピースをつまむことをどんどんやらせたり…
うまくできるたびに、たくさん誉め、励まし、やり続けさせました。それによって、お子さんに随分変化が起きてくるのです。
そうしたお子さんの1人、フレデリック・リンカーン君のお話をご紹介したいと思います。

フレデリック君はお母様のお腹の中にいる12週の頃、脳卒中を発症したのだそうです。
左腕、左足がうまく動かず、左目の力も入らず、舌も部分麻痺があって声もだすことができなかったそうです。そして、生まれて7か月の時、また脳卒中の発作が起こってしまいました。MRIの結果、「脳の4分の1がダメになっているため、はいはいもできず、歩けず、話すこともできない」と医師から告げられたのだそうです。お母様の心労は、はかり知れないほど大きなものだったことでしょう、お母様はフレデリック君のお世話をするために、連邦地方裁判所のお仕事を辞めたので、おうちの経済事情も苦しくなったのだそうです。

お母様はフレデリック君が1歳半の時にタウブクリニックのCI療法について知り、問い合わせをしたそうです。しかし当時はまだ子ども向けのプログラムが行われていなかったので、フレデリック君はそれから4歳になるまで、通常のリハビリ治療を続けました。フレデリック君は脚に装具をつければ、歩け、お話もできるようになっていましたが、左手の指先の機能は難しく、ものをつまんだり、拾ったり、つかんだりすることができなかったのだそうです。

ようやくCI療法(自由の利く方の手足の動きを制限して、不自由な方の手足の訓練を行います)が始まることになりましたが、フレデリックはどうしても自由に使える方の右手を使おうとし、訓練をいやがったそうです。しかしCI療法は3週間、休みなしで続けられました。クリニックや家の中だけでなく、託児所、教会、祖母の家といったお出かけ先にでかける移動途中でも、リハビリが行われたそうです。お母様は「息子はきっと、良くなる!」そう信じていたのだと思います。

そのうちフレデリック君は、自分の左手のために、皆が力を貸してくれ、努力してくれていることを理解するようになりました。
そしてCI療法開始後19日で、不自由な左手でつまむ動作ができるようになったのだそうです。
お母様は次のように話していらっしゃいます。

いまでは、左手でなんでもできます。もちろん右手よりは弱いですけれど。でも、ジップロックが聞けられるし、野球のパットも構えられます。いまも回復は続いています。
運動能力は、驚くほど進歩しました。
タウブ・クリニックで訓練をはじめてから伸びて、いまもそれが続いているんです。
親として、わたしはそれをただ見守っているだけです。


引用文献:
ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル, pp.186-187

フレデリック君は身の回りのことができるようになり、お母様も仕事に出かけられるようになりました。
そしてフレデリック君はもっともっと、世界が広がりました。なんと野球団に入って、メンバーとして活躍することになったのです。

彼は、自分に障害があるとは思っていない。走れるし、スポーツもできる。バレーボールもできるが、いちばん好きなのは野球だ。しっかりグローブがはめられるように、母親がグローブの内側にマジックテープを縫いつけてくれた。腕につけている小さな固定具に、そのマジックテープをとめるのだ。

フレデリックの進歩は驚異的である。彼は野球チームの入団テストを受けた。障害者チームではなく、ふつうの子どものチームだ。それで合格した。

「活躍が認められて、コーチの推薦で選抜チームのメンバーにもなったんですよ」

母親は言う。
「それを聞いて、わたしは2時間も泣きました」。

フレデリックのきき手は右だから、バットはふつうにもてる。ときどき左手の振りが弱くなるが、右手が強いので、片手でもスイングができるのだ。

「2002年には、5、6歳児の野球大会に出場して、5回、選抜チームに選ばれました。5試合のうち、3試合に勝ったんです。
決勝戦では、この子が決勝点をあげて優勝が決まったんですよ。興奮しました。ビデオにちゃんと撮ってあります」


引用文献:前掲書, p.187

お母様が1針、1針丁寧にグローブの内側にマジックテープを縫い付けてくれたたこと、その母の愛情をフレデリック君は、とてもよく感じていたことでしょう。お母様は「まだこども向けのプログラムが行われていない」と聞いてから2年半、随分焦ったり、落ち込んだ日々もあったと思います。プログラムの開始時期は、クリニック側の事情もあるものですから。でも、そうした間、不満を持ちながら過ごすのではなくて、普通のリハビリを続けながら、時期を待っていたという過ごし方は、良い選択だったと思います。

チャンスの神様は前髪しかない、と言いますが、フレデリック君とお母様は、神様の前髪をしっかりつかんで逃さなかったのですね。きっと。
それも、とっても大切なことだと思います。

親がこどものリハビリを替わることはできないけれど、努力するこどもを励ましたり、努力が続けられる環境を整えたり、チャンスを引き寄せたり…それは、むしろ本人ではなく、親だからできることだと思います。
そして、何よりそうした関わりは、お子さんの力へと変わっていくのだと思います。お子さんに対する愛情はさまざまな形式をとって、変わる力になっていくのだと思います。

 
古くから「準備できた時に師が現れる」と言います。あなたとお子さんが必要な時、必要なチャンスを踏み台に、跳躍できますように。
長原恵子