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家族の気持ちが行き詰まった時
もう一度、父になる

お子さんの病気を診断された時、お父様、お母様、共にお子さんのことを心配するのは同じです。でもご夫婦の間で病気の受け止めに違いがあり、次第に温度差が生まれ、感情のすれ違いが起こることがあります。時には相手の気持ちを誤解することもあるでしょう。
おうちの中でお子さんと接する時間が長い方が、「こんなに自分が頑張っているのに…」と非常に疲弊し、孤独を感じることもあります。
でも、仕事の都合などで、お子さんと接する時間が短い方は、決してお子さんのことを心配していないわけではありません。どうにかして、自分もこどものために、何かできることはないだろうかとジレンマを感じていることも多々あると思います。

ある自閉症のお子さんのお父様の手記を読みました。そこには、外で働く父親が、発達障害のお子さんとどう向き合っていくのか、その心の軌跡が赤裸々に綴られていました。同様の立場で、共感するお父様方も多いと思いますので、ご紹介しようと思います。

ある春の日、3歳の息子さんのことで保育園の園長さんから直々に電話連絡がありました。ご夫婦そろって保育園に行くと、息子さんの行動に、ある兆候があるから…ということで、区役所の児童相談窓口を紹介されました。そして、そこから病院を紹介され、息子さんに自閉的傾向があると診断されたのです。話しかけても息子さんが反応しないので、お母様は耳が悪いのかと思ったことがあったそうです。でも、お父様はまったく気付いていなかったのです。

ご夫婦一緒に息子さんの診断を聞き、お母様はお子さんにとって何か良い方法はないかと懸命に探しだし、それを実践し、苦悩していました。お父様も無関心だったわけではありませんが、どちらかというと傍観し、他人事的な態度だったのだそうです。息子さんの状況にあった療育ができる保育施設に転園しても、関わりを持とうとしませんでした。その頃、絶望して、息子さんと共に命を絶つことばかり考えていた奥様の気持ちを、うすうす感じていたにも関わらず…。
お父様は次のように綴っています。

理解して認識することと、それを受け入れることはまったく違う。受け入れない限り、ずっと苦しむことになるのに……。


引用文献:
天宮秀俊「胡瓜の歌が聞こえる」内山登紀夫ほか編(2014)『わが子は発達障害』ミネルヴァ書房, p.81

その通りですね。頭では息子さんの病気について理解して認識していたとしても、それを我が子のことなのだ、と心の中で受け入れられることは別の次元の話ですから…。
3歳の息子さんは、はい、いいえの意思表示もままならず、嫌な時に大声をあげたり、パニックになったり、それが通じない時には自分の頭を叩くこともあったのだそうです。毎日の暮らしの中で、ご両親がどれだけ大変であり、また心が疲弊していたのか…それを思うと、非常に胸が痛みます。その頃、少しずつお父様の気持ちは変化していきました。

僕は他人なのか?
どうやったら本当の夫に、
どうやったら本当の父になれるのか、
その方法すら、わからないでいたのだ。

ただ何も考えず、心の衝動をそのまま行動に移せば
良いだけなのに。
でも、このあたりから、ほんの少し何かが変わりはじめていた。

僕は父になりたかった。本当の父に、なりたかったのだと思う。
僕は心と頭脳の距離に、少しずつ戸惑いを覚えはじめていた。


引用文献:前掲書, pp.82-83

息子さんを授かった時に父となり、そして息子さんの病名がわかって、自分の心の中にそれをしっかり我が子のこととして受け入れられた時、もう一度「父」になりたいという瞬間が訪れたのですね…。
そのうちお父様は、感情と言葉が結びつかないお子さんへの対応方法をネットで見つけ、それを奥様が実践して、だんだんと息子さんは言葉と自分の要求が結びつくようになっていきました。
息子さんはどんなに嬉しかったことでしょう。気持ちが伝わらないもどかしさから、抜け出ることができたのですから。
そしてご両親も、ようやく我が子の気持ちを知ることができ、本当に嬉しかっただろうと思います。

直也の作り出した、だだっ広い世界の中を今までたった一人で
彷徨っていた彼に、僕たち夫婦がようやく出会えた瞬間でもあったのだ。


引用文献:前掲書, p.87

しかし、それからしばらくたってから、ある出来事が起こりました。
息子さんが寝室のカーテンに、ライターで火をつけたのです。それは決していたずらとか、放火とかそういう類のものではなくて、ただ単に、炎のように光り輝きながら形が変わるものを、美しいものとして見たかったからでしょう。息子さんは天井まで上る炎を、ぼんやり眺めていました。
しかし炎がきれいとはいえ、おうちにとってはおおごとです。キッチンで夕食の支度をしていたお母様は、火災センサーの警報で異変に気付き、炎のそばから息子さんを押しのけました。そしてお母様は火を消そうと、思わず自分の素手でカーテンを掴み、全治1カ月の火傷を負ったのです。

火傷の治療の帰り道、お母様はお父様にお話をされました。お母様がもう何もかも嫌になり、死にたいと毎日考えていた時、同じような境遇のお子さんの親御さんから聞いたというお話です。

「この世の中には絶対障害をもった人が生まれてくる。
それは人間だけやなくて動物もみんなそうなんやって。
もしわたしのところに生まれてこなくても、ほかの誰かのうちに絶対生まれてるねん。

ということは、わたしらは、その子らに選ばれたんや。
うちに生れたら、絶対ちゃんと育ててもらえるって。
あの子らはな、この世で一番神様に近い子らやねん。
せやからあの子がうちに生まれるっていうことは、ものすごい幸運なことやねんて。

それ聞いて、わたし、心のモヤモヤしていたのが、一気に、す〜って消えたような気がしたんや。
もう逃げんとこ、うちに来てくれありがとうって」

これが、『乗り越えた人』なのかもしれないと僕は思った。
あんなに苦しんでいた妻は、気がつけば、僕よりもずっと先に進んでいた。今度は僕の番だと思った。

どんなことがあってもこの子を、命に代えても守ってみせる。
ああ、この強い思いこそが、愛なのだ。
なんだこんなことだったのか……自分は、以前より少しだけ、父になることができたような気がした。

それを教えてくれたのは誰でもない直也だったのだ。


引用文献:前掲書, p.92

この大変さを終わらせるには、死しかないと絶望の淵まで追い詰められていた人が、「ものすごい幸運」だと考えられるようになる…本当にすごいことですね。
息子さんはその帰り道の車の中で、歌を歌っていました。歌詞が違うよとお母様が正した時、息子さんはお母様の歌った言葉の音に非常に近い音で真似をして歌い直しました。奇声しか発しなくて意思の疎通が図れなかった息子さん。それを思うと、その歌がどんなに大きな意味を持っているかみなさんも感じられることと思います。
それがどんなに、短い歌だったとしても…。
改めて、人は成長していく力を持っていることを実感します。

 
希望を持って何とかしたいと思う気持ちがある限り、親も子も変わっていけるものなのですね。どんなに大変な出発点であったとしても。
長原恵子