病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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病気と一緒に生きていくこと
仕事への信念と感謝

「困難な道と神様」「麻痺した右手で奏でるチター」「絶望から転じた安らぎ」のページで「テディ・ベア」の生みの親である、アポロニア・マルガレーテ・シュタイフ氏のお話を取り上げました。
右手、両足が不自由だったマルガレーテは、大人になっても自分なりに、仕事をどんどん頑張りました。後にこれまでの人生を振り返り、マルガレーテが残した言葉がありますので、今日はそれをご紹介いたします。
(小さい時の病気の発症については、こちらをご参照ください)

マルガレーテは30歳の時、フェルト製の衣類や小物を扱う「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を開業しました。そして46歳の時にはおもちゃ会社「フェルト・トイ・カンパニー」を設立しました。
55歳の時には甥の考案で、手足が動くジョイント式の熊のぬいぐるみを作りました。これが後に「テディ・ベア」と呼ばれるぬいぐるみの始まりです。その翌年、ライプチヒ国際見本市で熊のぬいぐるみは3,000体もの注文を受け、57歳の年(1904)、アメリカのセントルイスで開催された万国博覧会で、熊のぬいぐるみはグランプリを獲得しました。

マルガレーテは右手でハンドルを回さなければいけないミシンを、右手麻痺の自分でも使えるように、ミシンを逆向きにして縫い物をしようとした頑張り屋さんですから、仕事がこんなに大きく成長したのでしょう。
でもそれだけではありません。
お金儲けは生活の糧を得る上で必要なことですが、マルガレーテの仕事は次のような信念に基づくものでした。

1) 「ささやかでもいい。子どもたちに喜びをあたえたい。
ヴエルナー先生が子どもたちのためにいのってくれたように、
わたしも子どもたちが幸せであるように、いのりをこめておもちゃをつくりたい。
それが、わたしのこれからの仕事だわ」

2) 「うれしいときも、さびしいときも、ぬいぐるみは子どものハートの一番近くにある大切なもの。
だからこそ、最良のものをあたえてあげたいの」


引用文献:
1) 礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, p.102
2) 前掲書, p.106

万博のお祝いのパーティが終わってうちに帰ると、マルガレーテは次のように言ったのだそうです。

「こんなふうになるなんて信じられないわ。
わたしはただ毎日、ささえてくれる人たちに感謝し、
今日より明日はもっとよいものをつくろうと思っただけ。
そしてそうすることを決してあきらめなかっただけ。
そうしたらいつのまにか、こんなふうになっていたの」


引用文献:前掲書, p.129

欲張らず、日々感謝の気持ちを持ち、「今日よりは明日」という向上心を持ち続けていたことが、大きな結果をもたらしただけだというのです。
気負ったところのないその言葉は、一体どのような気持ちから出てきたのでしょうか。

今、マルガレーテは気づいていました。
生きる意昧は神様に問いかけるものではなく、神様がずっとわたしに問いかけていたのかもしれない。
“マルガレーテ、あなたはどう生きるのですか”と。

『わたしはあるがままを受けいれ、わたしにできることは全力でやりぬきました。成功することはすばらしいことです。
でももっと大切なことは、決してくじけずほこりをもって、せいいっぱい生きること』

それがマルガレーテの答えでした。


引用文献:前掲書, p.131

世の中の評価がどうであるか、に左右されるのではなく、自分の信念に基づき、自分のできることを、こつこつと積み重ねた人だからこそ、言える言葉なのだと思います。素敵ですね。

 
小さな目標を1つずつ達成していけば、先の大きな目標につながると信じれば、お子さんの今日の喜びは、お子さんの未来の喜びを招くはず。
長原恵子