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病気と一緒に生きていくこと
9歳脳腫瘍の少年のひらめきと進む道

「病は気から」という言葉がありますが、そうであるならば「治癒も気から」という言葉が成り立つかもしれません。決して現代医学の治療手段が無意味だと言っているのではなくて、自分の意思によって選んだ道を、ポジティブな気持ちと共に進むとき、身体の中の治癒システムを総動員しようとする動きが始まるのではないか、という意味です。そのようなことを強く確信できるお話をパトリシア・ノリス先生の本に見つけました。
ノリス先生については変わった自分、好きになった自分」「怒りのエネルギーを成長に変える」ですでにご紹介しましたが、今回はノリス先生がイメージ療法を行った少年と共著された『自己治癒力の医学』からご紹介したいと思います。こちらの本、一般向けに書かれた本ですが非常に示唆に富む本ですので、何回かにわけてご紹介したいと思います。

この本の著者の1人であるアメリカの少年 ギャレット・ポーター君は、小学4年生になろうとする夏の終わり、身体に異変が起こりました。歩く時に足を引きずるようになり、左腕の感覚がなくなり、やがて数日で左腕は完全に麻痺してしまったのです。自分の体に起こった変化に、ギャレット君は大きな戸惑いを感じたことでしょう。ギャレット君は地元の病院に、検査入院することになりました。そして進級してまだ2、3週間の9月、ギャレット君は、右の大脳に腫瘍があることがCTで確認され、それは手術不可能だと診断されたのです。カリフォルニア大学の脳腫瘍研究所にも出向き、セカンドオピニオンを求めましたが、同様に手術不可能で放射線治療を行うことを勧められたのでした。
ギャレット君の放射線治療は、6週間毎日のように行われました。この頃彼の麻痺は左腕だけでなく、左半身全体に及んでいました。
そして11月、イメージ療法を行われるノリス先生のところに、ギャレット君が紹介されてきたのです。ギャレット君はノリス先生に会った最初の頃のことを、次のように記しています。

これがいま、ぼくに起こっていることなの?
こんなの、まだ早すぎるよ。
それにぼくは死ぬはずがない。
まだ9つだし、9つで死ぬなんて不公平だもん。
ぼくは自分が入るお棺を買ってこようとしていた。
つまり絶望のどん底にいたんだ。死ととなりあって……。

学校へはずっと行ってたし、明るく過ごそうとがんばった。
けれど、どんどん沈んでいくだけだったんだ。
学校へ行くのも、何をするのも、じつにつらかった。

体のどこかがほんとうに痛かったんじゃないよ。
ただ、とても憂うつだったんだ。憂うつがどんなものか知らないで、ただ気が滅入っていたんだ。


引用文献:
P・ノリス, G・ポーター共著, 上出洋介訳, 平松園枝監修(1989)『自己治癒力の医学』光文社, p.44

9歳の少年の口から、死という言葉が出ていますが、ギャレット君の病状は深刻でした。その年の12月、ギャレット君一家はハワイに家族旅行に出かけましたが、家族にとって「最後の思い出に…」という意味を持つものであり、ギャレット君自身も「死んでしまうのではないか」と思っていたのです。しかし、ギャレット君は深い底に沈んだ気持ちから、だんだんと変わっていったのです。

ある晩、ベッドの中で考えていた。自分についていろいろと考えていたんだ。それで「神様、これがギャレットです。ギャレットはこんなようすです」と言った。
そしたら突然、ぼくにもできることが何かあるはずだと思いついたんだ。ひらめいたんだ。

夜明けごろに声が聞こえてきて、その声はぼくに、
「ギャレット、自分の道を選びなさい。いまのまま、そのままで死ぬのか?それとも病気と闘い、それにうち勝つのか。どちらかを選ぶのです」と言った。

ぼくには、何をどうしたらいいのか、はっきりとわからなかった。どちらの道を選ぶのか、それは賭けだった。
でもそれは、ぼくを照らすひとすじの日の光だった。


引用文献:前掲書, pp.44-45

9歳の少年は、どのような道を選んだのでしょう。

次に彼に会ったとき、私の研究室でギャレットは、はっきりと、力強く、「ぼくは生きるほうを選びました」と言いました。
ギャレットは、生きられることを一つの可能性、毎日の生活のなかで行なう努力だと考えていたのです。そして、生きようと努力する冒険それ自体が、生きる目的となったのでした。


引用文献:前掲書, p.45

ギャレット君がこれから取り組もうとするイメージ療法は、本人が望み、本人が主体性を持って進めていけるものでした。自分が切り開いていく未来。そこにはどのような展開が広がるかわからない、不確定要素が満載。でもそれを「そんなこと、やっても意味がないよ」と思うのではなく「冒険」と思えることは、きっと、周囲の人々の気持ち、価値観がギャレット君に影響しているように思うのです。

 
新しい治療が冒険なのであれば、それが失望と落胆にあふれた道ではなく、わくわくした希望に満ちた道でありますように…。
2015/3/5  長原恵子