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「例外」をどう考えるか

病気のお子さんのご両親の中には、一日も早くお子さんの病気が早く回復することを願って、インターネットを利用したり、病気のお子さんのご家族同士の口コミなどで、いろいろな治療を探し出されている方もいらっしゃると思います。
私も自分ががん治療を受ける立場になった時、家族の協力を得ながら調べ、自分が納得がいく、自分の思いと通じる方法を探していました。
でも、それが現代医学の学会で出された治療法ガイドラインに則したものでなかった場合、それらの治療の選択を話すと「そういうものを選んでも責任はもてない」「そんなケースは例外ですから」と片付けられて意気消沈することもありました。

今日ご紹介したいのは「例外」をどう考えるかについてです。人間の治ろうとする力を引き出すことについて、追求されてきたアメリカの医師 バーニー・シーゲル先生の言葉を取り上げたいと思います。
(シーゲル先生についてはエッセイ「無条件の愛」「心の花火」でも取り上げています)

約30年ほど前のこと、シーゲル先生は当時スタンダードとされていた方法で治療を行い、どんなに尽力しても回復が見られず亡くなっていく患者さんが相次ぎ、自分はこの先医師としてどう救っていけば良いのだろうかと、自分の行く末までも不確かになってしまったのだそうです。
そこで1978年、シーゲル先生は「心理的要素、ストレスとがん」というワークショップに参加されました。そのワークショップでシーゲル先生は様々な意識の開眼を得、ある治療グループを発足させることになりました。ECaP(例外的がん患者: Exceptional Cancer Patient)です。
このグループは患者が病いと向き合って治っていこうとする過程に注目し、より良く、より長く生きることができるよう支援するものです。
「例外」という形容がなされている点が、注目したいところです。
いわゆる王道の治療パターンからはずれて、奏功した例を聞くと、「例外」扱いされ、「たまたま、ラッキーだったんでしょ」と奇跡話のような扱いに貶められてしまうこともあります。
それなのに、医師であるシーゲル先生はどうして「例外」に注目したのでしょう。 シーゲル先生の言葉を見ていきます。

治癒に関するかぎり、例外は例外でしかなかった。しかし奇跡のような話であっても、もしもがんが完治したなら、それは有効な資料になり得るし、例外だからといって捨て去るべきではないのだ。ある患者に可能なことが、他の患者にできないという理由はない。(略)私は自分が統計にふりまわされて、いかに歪んだ思考をしていたかもわかってきた。

引用文献:
バーニー・シーゲル著, 石井 清子訳(1988)『奇跡的治癒とはなにか―外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣』日本教文社, p.18

「例外」という形容は、ある「事実」に対するものであり、決して幻やまやかしが対象ではないということを、見落としてはならないと思います。
統計の中に含まれる無数の症例は、データから見れば数の塊にしかすぎないけれど、でも1つ1つの症例がどなたかの人生であり、そこには生きてきた証である生活が伴っているのです。
もしかしたらその1つ1つの症例の中に、大切なヒントがあり、それが埋もれて見過ごされ、認識されず、他へ活かされていないからこそ、世間的には「例外」と形容されてしまうのではないか…そんな風に思いました。

 
「例外」とは「多くの賛同や支持を得られなくても、それでもずっと信念を持って頑張ってきた方への形容」だと思います。
長原恵子