病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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いろいろな幸せのかたち

これまで「困難な道と神様」「麻痺した右手で奏でるチター」「絶望から転じた安らぎ」「仕事への信念と感謝」のページで「テディ・ベア」の生みの親である、アポロニア・マルガレーテ・シュタイフ氏のお話を取り上げました。
マルガレーテの芯の強さは、ご本人のもって生まれた素養による部分は大きいと思いますが、周囲の関わりから得られたものも決して小さくないと思いますので、今日はそれをご紹介いたします。
(小さい時の病気の発症については、こちらをご参照ください)

マルガレーテを育てる上で、母親は「病気だからこのくらいは」と大目に見るのではなく、むしろ厳しく育てました。それは手足の不自由さとは関係なく、娘が自立した生き方ができるようにという願いからくるものです。それはマルガレーテの生き方の方向性として、とても良い影響をもたらしたと思います。「病気で右手と両足が不自由になった私が1番不幸」と思うのではなくて、自分にできる役割は自分で果たすことにより、様々な立場の人への思いやりを形にしていったからです。
たとえば100年ほど前の時代において、マルガレーテは身体の不自由な人を雇い、赤ちゃんや小さな子どものいる女性は子どもを連れて働きに来ることを認めたのだそうです。また貧しい家庭の病気の子どもたちに基金を作りました。

さて、マルガレーテの多様性を受け容れる心は、母のきょうだいであったウルシェおばさんの影響もあるのだと思います。ウルシェおばさんは未婚で子どもいませんでした。自分の父親の世話をしながら、公衆浴場の経営や洋裁の内職、じゅうたん販売などをしていた人でした。
17歳の時、ウルシェおばさんの仕事の手伝いにでかけた時、マルガレーテはいろいろなお話をしました。そこで、マルガレーテは母親とは違う幸せの形を見つけたのです。

「わたしは結婚とは緑がなかったけど、うらやましがるのはやめたの。わたしにはやりがいのある仕事があるし、好きな旅行も自由にできて仲のよい友だちもいる。
足りないものに不平を言うより、今あるものに感謝して楽しむことにしたのさ。わたしは今のままでじゅうぷん幸せだよ」

おばさんの横顔は自信にみち、自立した女性の美しさにあふれていました。

「幸せには、いろいろなかたちがあるのね、ウルシエおばさん」

「そういうことだね。運命をのろったり、こわがったり、ひがんだりして、自分のからの中にとじこもってしまうおく病者はたくさんいるわ。
でも、あんたはそうじゃない。
心を開いて、前に進む強さがある。」

引用文献:
礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, p.67

幸せの形は1つではない、と知ったマルガレーテはどんなに嬉しかったことでしょう。
洋裁学校で友達が語る、恋愛や将来の夢の話を、自分と違う世界の話だと寂しく思っていたマルガレーテです。当時の幸せの王道とされた生き方からそれたウルシェおばさんが「今のままでじゅうぶん幸せ」と言った言葉は、何よりも心強いお手本のように思えたことでしょう。
そしてきっと、マルガレーテの人生を不自由さを丸ごと含めて、肯定してくれたように思えたことでしょう。

 
お子さんが病気の場合、どうしても家にこもりがちになってしまいます。そうすると、普段会う限られた人間関係の価値観が、すべてになってしまいます。もしその価値観があなたの心を苦しめるものであるならば、どこか違う環境に出かけてみてほしいのです。
2013/7/25  長原恵子