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ルノワール 2 プレッシャーが力に変わる時

エッセイ「ルノワール 1 不器用なほど効き目がある」で書きましたが、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール氏は1897年の12月、右腕の異変を感じて、リウマチではないかと疑い、自らリハビリ運動に励んでいました。
しかしその1年後、何日もの間、絵筆に触れることもできず、動かせないほどの痛みが、右腕に起こってしまいました。その時の様子を息子ジャン・ルノワール氏は、次のように記しています。

彼にとって、病気を直すことなど問題ではなかった。父はそんなことには無関心だったと私は思っている。大切なのは描くということだった。

ここでまた渡り鳥の例を持ち出すが、ある地方の人びとは、これらの烏たちの運命によってどうしようもなく定められた通路に、大きな網をはって待ち構えているのだ。
病気は、ルノワールの辿る道に張られた罠だった。彼にとって、そこを通るか通らないか選択する余地はなかった。なんとか網から逃れて、手足に傷を負いながらなおも道を辿り続けるか、眼を閉じて死んでゆくかどちらかだった。
もちろん、ルノワールは、どんな問題でも、知性的な色に染ることをひどく厭がっていたから、このことももっと卑俗な言いあらわしかたをしていた。

父は母に、これからは一家の生活を充分に支えられなくなるかも知れぬと言っていた。父の制作は尨大なものだったが、ほとんどすべて、描くとすぐに売ってしまった。

おかげで家の生活にはなんの心配もなかったが、うんと余りが出るというほどではなかった。


引用文献:
ジャン・ルノワール著, 粟津則雄訳(1964)『わが父ルノワール』みすず書房, p.340

描くということはルノワールにとって、自分の感性の世界を表現する方法でありながらも、自分の家族の生活を支えるための生業。
好きなことで身を立てていけるということは、本当に幸せであり、それを享受できるのは、ごく一部の限られた人ではありますが、逆にそこに大きな試練や苦難が起こってしまう時、逃げ場のない閉塞感で、心の中が埋め尽くされているかもしれません。
好きなことができなくなる失望感、家族の暮らしが不安定なものに陥っていくかもしれない恐怖、それらは、大きなプレッシャーとして心にのしかかってきたかもしれません。

でも筆を握ることさえも難しかったのに、それでも描こうとする意欲を掻き立てられたのは、好きなことに責任感を伴っていたからでしょう。
関節の拘縮を悪化させないためにも、描き続けることは、必要なこと。
家族への責任感は、周り回って、ルノワールが絵を描くという生きがいを持ち続けることを助けることになりました。

一見、大きなプレッシャーが、後になって振り返ると、当時の自分を支え、牽引してくれる力であったということが、あなたのお子さんにもきっとあるはず。

 

お子さんにとってプレッシャーと感じることが、お子さんが成長するためのきっかけになりますように…。             

長原恵子
 
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