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日本では年末あちこちで演奏・合唱される「第九(交響曲第九番)」の作曲者ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)。彼は耳が不自由であったことはよく知られている話ですが、難聴を抱えながらも作曲家として生きていくことは、どんなに多くの困難と苦しみがあったことでしょう。現在遺されている、彼の友人宛の書簡にはその心情が非常によくあらわされているので、これから何回かに分けて、ベートーヴェンについて取り上げたいと思います。

ベートーヴェンは26歳の頃から耳の不調があり、いろいろな治療を試みていました。温浴療法、冷水浴、煎薬、扁桃油、発砲膏…様々な治療をしても、聴力の改善はみられませんでした。
思うように回復しない状況の中でベートーヴェンは、そのジレンマを友人の医師フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛の手紙の中に、次のように綴っていたのです。

ぼくが二年前から、どんなに悲しい孤独な生活を送っていたかは、きみにはほとんど考えられまい。

ぼくの病気が、いたる所でぼくの前に幽霊のように立ちふさがっていた。そしてぼくは人を避けていた。ぼくは人間嫌いのように見られるよりほかなかった。ところがぼくは少しも人間嫌いではないのだが!

――この変化は、実は一人の親愛な可愛い少女のせいなのだ。彼女はぼくを愛しているし、ぼくも彼女を愛している。二年ぶりで、再び幸福ないくらかの瞬間を持っている。そして今度はじめて、結婚が幸福をもたらすかも分らないということをぼくは感じている。不幸なことに、彼女はぼくと身分が違うのだ。
――それに今のところ
――ほんとうを言うと、ぼくはまだ結婚はできないだろう。ぼくはまだまだ大いに活動しなければならないのだ。
耳さえこんなでなかったら、もうずっと前に、地球の半分を歩きまわっていたであろう。

ところでこれは、どうしてもしなければならないことだ。
ぼくにとっては、自分の芸術を仕上げて、それを世に示す以上の大きな喜びはないのだ。たとえきみたちの所へ行っても、ぼくは幸福にはなれまい。

何がぼくをいっそう幸福にしてくれることができるだろうか?
きみたちの親切な心づかいさえも、ぼくには重荷となるだろう。ぼくは絶えずきみたちの顔の上に同情の色を読み取るだろう。
そしていっそう惨めな気持になるだろう。

――何が、ぼくの祖国の美しい景色の方へ引き寄せたのだ?
それはほかでもない。よりよい地位を得たい希望である。
この病気さえなかったら、それをどうにか手に入れていたであろうに! おお!


引用文献:
ロマン・ロラン著, 新庄嘉章(1995)
『苦悩の英雄 ベートーヴェンの生涯』角川書店, pp.107-108
医師フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛ての手紙
1801年11月16日

容易に変わらない病状、その中でベートーヴェンの気持ちに変化が出てきました。それは「目標」だったのです。

この病気から解放されたら、全世界を抱きしめたい!
ぼくの若さは、そうだ、ぼくにはそれが感じられるが、
今やっとはじまりかけたところだ。
今までは絶えず苦しみ続けてきたのだ。
ぼくの体力は、しばらく前から、精神力とともに増してきた。

毎日、何だとはっきり定義できないながらもほのかに見えている目標に向かって、いっそう近づいている。

きみのベートーヴェンは、ただこうした考えの中でのみ生きることができるのだ。

休息なんてものはないのだ!――休息といっては、ぼくは眠りしか知らない。その眠りに、かつてより以上に多くの時間を与えねばならないほどぼくは不幸だ。

今の病気からせめて半分でも解放されたら、
そうしたら!――いっそう自分を制御できる、いっそう円熟した人間として、きみたちに会いに行き、ぼくたちの友情の古い絆を結び直したい。

きみたちは、この世で、与えられる限りの幸福を身につけたぼくに会わねばならないのだ。――不幸を身につけたぼくにではなくてね

――いや、そんなことはとてもぼくには堪えられない!
ぼくは運命の喉元を締めつけてやりたい。
運命にうちのめされはしないぞ。
――おお! 人生を千倍も生きるというのは、なんてすばらしいことだろう!

ぼくは静かな生活をするようには、そうだ、ぼくにはそれが感じられるのだが、できていないのだ。


引用文献:前掲書, pp.108-109
医師フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛ての手紙
1801年11月16日

考えの中で生きる、とは大事な転換点かもしれません。たとえ、第三者から見たら気の毒だと同情される状況であっても、その状況に対する本人の気持ちは、いかようにも変えていくことができるのですから。
ベートーヴェンの中で芽生えた目標は、本人の中で明確にはなっていなかったようですが、心の中の変化を自分でも感じ取っていたのでしょう。
「自分の芸術を仕上げて、それを世に示す以上の大きな喜びはない」「運命にうちのめされはしない」と綴っていたように、何か覚悟が決まったのでしょうか。それは良くならない病状に無理に抗わない、ということかもしれません。ベートーヴェンは諦めたのではありません。自分の心のエネルギーを、どうにもならない状況に思い悩むことからいったん切り離して、音楽を生み出すエネルギーに向かわせようと、心のギアを入れ替えたとでも言うべきかもしれません。

ベートーヴェンは、晩年の頃、木製の棒を使って音を聴いていたという話が伝わっています。作曲をする時、ピアノの上に置いた箱の上に、棒の片端を置き、もう一方の端を歯でくわえていたのだそうです。歯へと伝わる振動から自分の中で音を拾い上げていたのでしょう。そこまでしながら、自分の中から湧き出でる音を音符にしたためていったのは、世の中に自分の音楽を知ってもらいたい、という情熱が絶えていなかった表れだろうと思うのです。

 
お子さんは病気であっても、目標を持って、なりたい自分を思い描くことから、時間の過ごし方がきっと、変わってきます!    
長原恵子
 
関連のあるページ(ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
「目標が支える情熱」  ※本ページ
「苦境から見出した生きがいと喜び」