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病気と一緒に生きていくこと
弱さと対峙し、動き出した進行形の人生

歌手の西城秀樹さんは2003年6月、2011年12月、と二度に渡り脳梗塞を発症されました。初めての発症の時は「あきらめない」という言葉を胸に、辛く苦しい日々を乗り越え、そして二度目の発症の時は「気持ち」「心持ち」によって前向きに生きるエネルギーが生まれ、それは自分の手中にあるのだと気付かれました。秀樹さんが二度目の発症の時に、得た大きな気付きはそれだけではありませんでした。「自分の弱さと対峙すること」でした。ずっと芸能界の第一線で活躍し続けてきたスーパースターが、あえて口にした「弱さ」。それは一体どういうことだったのでしょうか。今日はその「弱さ」について見ていきたいと思います。

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一度目の脳梗塞を発症して入院していた頃、秀樹さんはよく主治医に八つ当たりをしていたそうです。主治医が励ましの言葉をかけても「ぼくの気持ちなんか、誰にもわかりはしない」と、素直に心に響くことはありませんでした。悪いところばかりを突き詰めるのではなく、入院当初よりも症状が良くなっていることに目を向けてほしいと主治医が言っても「どうせ先生にとっては他人事でしょう」と毒づいていました。当時、構音障害があってスムーズに自分の心の内を言葉にして口に出すことができなかったことも重なり、秀樹さんの気持ちはより一層頑なになっていたのです。
「歌が命、歌えなくなったら死んだも同然」と考えていた秀樹さんにとって、高音部を歌いにくいことは本当に切実な問題でした。音程を下げてみるよう主治医がアドバイスしても「そういうことじゃないでしょう!」と怒鳴ってしまったこともありました。原曲の音程を変えることは、歌全体の雰囲気が変わる恐れがあると、秀樹さんは懸念したのかもしれません。
治療とリハビリによって言語機能がだいぶ回復し、日常生活上の行動もほとんど不自由がないほどになったことを主治医が褒めても「気休めは言わないでください」と突っぱねてしまう秀樹さんでした。

そして再梗塞によって二度目の入院を余儀なくされた時も、自分の苛立ちをよく主治医にぶつけていたそうです。一度目の脳梗塞発症より二度目の方が症状が重かったことを、医師のせいだと思っていたことすらあったのです。
そのように心が荒んでしまった時もありましたが、秀樹さんは二度目の闘病生活を送る中で、内なる自分の核の部分と向き合うことになったのでした。

もう一つ、僕は二度の闘病生活を通じて、自分の弱さ、臆病さに初めて気がついた。
一度目はそれに気づけず、二度目の脳梗塞に襲われて、初めてそのことに気づいたのだ。
それまで自ら起こした病気となかなか真正面から向き合えず、被害者意識のようなものばかり感じていたのは、人一倍臆病だったからにほかならない。

引用文献:
西城秀樹(2012)『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版, p.35

リハビリ専門病院でも、当初「どうせぼくは見世物のモルモット」と医師やリハビリのスタッフを信じられず、心を開くことはできませんでした。それを振り返り秀樹さんは、闘病記の中で次のように綴っています。

「今、体が思うようにならない」自分を素直に認めることが怖くて仕方がなかった。
だからあらゆることに反発し、抵抗することで、自分の周りにバリアーを張っていたのだと思う。
弱い犬ほどよく吠える、という言葉があるが、自分の弱さに気づく前のぼくは、まさに吠えたり噛みつくことしかできない弱い犬だったのかもしれない。

ぼく自身、自分がこんなに弱い人間だとは、それまで思ってもいなかった。むしろ、自分は意志を貰ける強い人間だと思い込んでいた。だが、自分の弱さに気づいたとき、考え方を一から改めた。

弱い者は、逃げ回っているだけでは決して強くなれない。脳梗塞は怖い。このまま麻痺が残ったら、ぼくの歌手生命は断たれる。それは変えようのない事実だ。それを正面から受け止め、怖さを克服するためには、だれでもない、自分が一歩一歩前進し続けるしかない。だから、臆病なぼくは脳梗塞という病気を学習して、自分の生活も改善しながら慎重に進んでいこう。
そう思えたことで、ぼくは精神面では確実に一歩を踏み出せたと思う。

リハビリは相変わらず何日も歩みが止まったり、半歩進んだかと思うと一歩後退するような状況のくり返しだったが、できなかったことができると、大きな喜びを感じられるようになった。リハビリ仲間がぼくの言動に注目してくれていることを、励みに思えるようにもなってきた。(略)病気前の健康な体と比較して悲観することは少なくなった。

引用文献:前掲書, pp. 38-39

人は易きに流れやすいもの。誰しも自分にとって心地良くない感情を呼び起こすような状況は、避けたいと思う方が大方でしょう。それでも自分の弱さに気付き、それをはっきり認めて向き合うことのできた秀樹さんは、本当の意味での強い人だと思います。

また、秀樹さんが元の健康体と病気後の自分を比べて悲観することが減った、それはまさにありのままの、今の自分を受け容れられるようになったということですね。自分を見つめ「今」に集中できるようになった秀樹さん。まだ誰にもわからない未来に対して思いを馳せて悩むよりも、今の時間を大切にしたい、そういった思いはご家族の影響が大きかったのかもしれません。
一度目の脳梗塞発症の時は、まだ一歳の誕生日を迎えたばかりだった長女は二度目の発症時には小学校三年生になり、奥様のお腹の中にいた長男は小学二年生、そしてその後誕生した次男も小学一年生へと進級し、それぞれ成長盛りの年頃でした。体調、健康管理のために仕事をセーブし、それによって結果的にこどもたちの成長する様子を間近で見る時間を持てた秀樹さんは「今」の大切さを誰より強く、実感していたのかもしれません。

あまりにも理想的なことばかり追い求めてしまうと、体がほんの少し回復の兆しを見せたときに気づけなくなるかもしれない。反対に過ぎたことを悔やんでばかりいても、体にも心にもマイナスの影響しか及ぼさない。

大事なのは、今、このときだ。総合的な計画としては五年先ぐらいまであるけれど、それよりも一日を一生のつもりで生きることを、今は大事にしたい。

病状も心情も、よくなったり悪くなったり、刻々と変化していくが、それをすべて受け入れよう。現状を肯定するところからしか、前へは進めない。

人間だれしもゴール地点は「死」だが、そのゲートをくぐるとき、きちんと前を向いた「進行形」でいたい。

そう考えたとき、ある意味で覚悟が決まったような気がする。もう今は、自分の情けない姿を、人前で見せることも厭わない。弱い心を人に話すこともできるようになった。

引用文献:前掲書, pp.180-181

ゴール地点でもきちんと前を向いた「進行形」でいる、それはとても心に響く言葉です。そういう父の生き様を親としてこどもに見せることは、大きな病気を患ったた父だからこそ、できることなのかもしれません。言葉や理屈ではなく、まさに父の背中が大切なことをしみじみ教えてくれることになったでしょう。

それでもやっぱり秀樹さんも、辛さや不安に心掻き乱される時もありました。夫として、父としてそれは当然のことだろうと思います。秀樹さんは三度目の脳梗塞が起きることを恐れていました。健康的な生活を心がけていたにもかかわらず、二度目の脳梗塞が起きたのは寒暖の差がきっかけになったのだろうと医師から指摘されていたことから、冬の到来は秀樹さんにとって恐怖でした。暖かい部屋の中と冬のぐっと冷え込む外気温との差、それは自分の努力だけではどうにも埋め難いものですものね。秀樹さんはその恐怖を率直に主治医に打ち明けたところ、通院間隔をもっと短くして、血液の流れを良くする薬を投与しようということになりました。

先生とのこんな会話で救われた。つらいとき、不安なときは、だれかにそれを話せば楽になる。今のケースのように、専門家に相談すれば一気に解決することだってある。幸いわが家には、聞き上手な妻もいる。

引用文献:前掲書, p.182

一人で病気の悩みを抱え込んでしまうと、閉塞感でいっぱいで、立ち止まってしまいがち。そのうち、もう前に進もうという気持ちが起らなくなってしまいます。そうした事態を避けるためにも、誰かに話し、相談することはとても大事ですね。「救われた」と秀樹さんが感じたように。

 
参考文献:
西城秀樹(2004)『あきらめない ー脳梗塞からの挑戦ー』二見書房
西城秀樹(2012)『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版
 
素の自分に戻って心のバリアを取り払い、困った時、誰かに相談してみること、それはきっと現在進行形の歩みをより一層加速させるものになると思います。
2018/9/1  長原恵子
 

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