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こちらで今井絵理子さんと耳の不自由な息子さんをご紹介しましたが、今日はお二人の話の中から、お子さんの無限の可能性の芽を引き出し、育てていく力に注目し、取り上げたいと思います。

絵理子さんは、息子さんに人工内耳の手術を希望していました。それは当時通っていた口話法の教室で、人工内耳の手術を受けることにより、上手な発音で会話をしているこどもたちの姿を、目にしていたからです。そこで息子さんが2歳になった時、人工内耳のための検査を受けられました。しかし、残念なことに息子さんには、内耳と聴神経がないことが明らかになったのです。内耳とは外耳と中耳を伝って内側に入ってきた音を、脳が認識できる形に変えたり、身体のバランス状態を察知して脳に伝えるための大事な働きを司る場所。それらの情報は聴神経(内耳神経)を通って、脳に伝えられます。

内耳と聴神経がないと知っても、私の中で悲しいという気持ちはなかった。それは息子の生きるカ・姿を見て、どこかで音を感じとっていると信じているから。


引用文献:
今井絵理子(2009)『ココロノウタ〜息子と歩んだ4年間、そしてこれから〜』祥伝社, p.85

そうした思いは、確かなものへと変わっていきました。なぜなら、息子さんは太鼓の音が聞こえると、自分の前に置いてあるいくつかの輪の中をジャンプして進んでいく、というトレーニングで何度もジャンプをしたからです。自分の後ろで叩かれた太鼓の音、それは息子さんの視界に入っていないのに、何度も音に合わせてジャンプすることを繰り返す…、なかなか信じ難いですよね。

「どこで音を感じ取っているのか、あるいは聞いているか謎なんです」と言った加我先生の言葉が未だに忘れられない。


引用文献:前掲書, p. 84

息子さんは全身の皮膚で振動を感じ取っているのかもしれないし、もしかしたら聴覚と呼ばれるもの以外の感覚があるのかもしれないですね。

私のライブで凄く楽しそうに踊ってるんですよ。どこで感じているんだろうと驚くんですけど、きっと身体や心で感じているんだろうなと思います。


引用文献:前掲書, p. 94

絵理子さんと息子さんの人生の中で大切な出会いとなった耳鼻科医の加我君孝先生は、次のように語っていらっしゃいます。

ちゃんと、わかってるんですよね。礼夢君は。聴力検査で低音域の反応はあるんですけど、それ以外も感じている。我々の理屈とあわないので、謎なんですけど、何か感じる細胞と仕組みがあるってことなんですよね。それプラス触覚とか振動とかでわかって楽しめるのでしょう。


引用文献:前掲書, p. 94

音イコール耳と考えてしまう、常識的な私たちの方が、世界が狭めているのかもしれません。
そして内耳のもう1つの働き、平衡感覚についても、絵理子さんの心配の種の1つでした。他のこどもたちがはいはいしたり、歩く頃の月齢になってもその気配がないことを不安に思い、先生に尋ねていたそうです。

私は「必ず歩けます」って言ってました。身体のバランスを感じる三半規管というものがあって、礼夢君はこの三半規管の発達が遅れていました。そうすると首の座りは6ヵ月くらい、歩くのは2歳と遅れるのです。


引用文献:前掲書, p. 94

1歳を過ぎても、はいはいが精一杯で、つかまり立ちもあまりしなかった息子さんは、2歳3か月の頃、突然立って、2、3歩、歩きました。どんなに絵理子さんは嬉しかったことでしょう。そこから息子さんは、ぐんぐん成長していったのだそうです。それは「内耳がない」といったハンディを感じさせないような成長でした。
4歳の頃には、泳ぐことが大好きで、スイミングスクールに通っていたそうです。地上とは異なる浮力がかかって、身体がバランスを崩しても、怖くなかったのかな?
加我先生は耳の不自由なお子さんの成長について、次のようにおっしゃっています。

聞こえなくても体の成長とともにスキーも水泳も普通にできるようになるのです。脳には可塑(かそ)性といって何か欠けていてもそれを補うような仕組みがあって、身についていくのですよ。

体のバランスに関係する脳はとても広いのです。聞こえないと聴覚の脳が発達してないんじゃないかって思うでしょ?

我々が研究した結果、普通の子どもも難聴の子どもも、脳幹から大脳までいく聴覚のルートと言語中枢がまったく同じように発達していくことがわかりました。どこで音刺激を入れるかというのが治療なのです。脳は教育を待っているのです。


引用文献:前掲書, p.95

耳が不自由であっても、発想を「どこで音刺激を入れるか」と切り替えることにより、開けてくる道はありますね!
絵理子さんは息子さんを、こんな風に見守っていました。

内耳や聴神経がないことで三半規管が鈍い息子は、バランスを崩して、よく転んでいた。でも男の子は友達と走り回りたいし、ジッとなんでしていない。何度も何度も転んだ。転んではたんこぶやすり傷を作ったり、時には病院に駆け込むこともあった。でも、幸いにも大怪我はなかった。
公園で子どもたちと一緒に走っている様子は、心配で心配で見ていられないほどの走りっぷりなのだ。

でも、私は息子に「走ったらいけない」と一度も言ったことはなかった。万が一ということもあるから心配だけど、息子を信じる!それ以外に方法がなかった。息子が楽しんでいることを途中でやめさせたくないという気持ちもあったから。

それでも、走ってはいけない場所ではきちんと手話で注意する。「走っちゃダメ」ということには理由があるということを知ってもらいたくて、手話でうまく通じていてもいなくても伝える。気持ちでわかってくれていると信じる。ただ、信じる。

そうすると、いつもと違うママの表情や手話で真剣に伝えているのを、息子は納得した様子で走ることをやめることもあった。4歳になった今はようやく安心して「走っている」様子を見守ることができるようになった。

三半規管が鈍い息子にとって、歩くこと、走ることはそう簡単なものではなかったと思う。グラグラしながらも、転んでも転んでも一生懸命に立ち上がり、前に進もうというチカラに私は何度も励まされた。
そうやって、生きていたい。諦めず、諦めず…。


引用文献:前掲書, p. 120-122

そしてなんと、かけっこの猛特訓も始まったのです!それは、息子さんはかけっこが大好きなのに、かけっこで5人中4位と、悔しい思いをしたためです。家の中にゴールをつくり、絵理子さんが走るお手本を見せて、息子さんがその真似をする、というやり方です。そしてついに迎えた幼稚園の運動会、始め最下位で走っていた息子さんは、どんどん抜いて、2位でゴールしました。絵理子さんは大喜びしました。でもそれは、単に順位が上がったからではありません。

振り返ってみると三半規管が弱い息子は、他のお友達が歩けるようになった時期に歩くことができませんでした。いつも「歩けるようになるかな〜」と心配ばかりしていました。走ることができるようになっても、いつもフラフラしながら走り、走ったら転び、転んだら頭にたんこぶ、ひざには痣(あざ)ができるという感じでまっすぐ走ることも大変でした。

けれど、走ることが大好きな息子は転んでも転んでも起き上がり、みんなと一緒に走って遊んでいました。今では、私が本気で走らないと追いかないくらいです。私に似て負けず嫌いな息子は、運動会の度に「今度のかけっこは○○くんを追い越して、ぼくが1位! がんばる!」と伝えてきます。だから普段は見せたこともない勢いで走っています。

そんな息子の姿を見ると、いつも涙がこぼれるくらい感動してしまいます。


引用文献:
今井絵理子(2011)『おやこ劇場』祥伝社, pp.94-95

息子さんの意欲と、それを応援する絵理子さんの眼差しと協力、それは新しい息子さんの可能性を開いていったのですね。

障がいを持っているからといって、過保護にもなりたくないという思いもある。障がいを持っているからこそ、自分でできる!という自信をつけさせてあげたい。

すべてにおいて、まずは自分でやってみよう! 
これを子育ての中で心がけている。


引用文献:
今井絵理子(2009)『ココロノウタ〜息子と歩んだ4年間、そしてこれから〜』祥伝社, p.120

 

身体に不自由なところがあっても、お子さんの意欲は何にも縛られないもの。それを引き出し、伸ばすことは、無限の可能性に満ちていますね!

長原恵子
 
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