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病気と一緒に生きていくこと |
か細い腕と患者認識バンド |
2006年、大学の通信教育部に入学後、京都の校舎で行われるスクーリングを私はとても楽しみにしていました。それまで看護学校では医学や看護など実学を学んだので、芸術を大学の授業で学ぶってどういうことなんだろうかと、わくわくしていました。
「芸術学概論」という授業だったと思います。自由席なので、私は大教室の後ろの窓側の方に座っていました。授業中、たくさんプリントが用意され、前方に着席した学生から順に後ろの学生へと回されました。
私の前には年の頃、おそらく10代後半か20代前半。
明るい栗色でふわふわっとした髪型の女性が、座っていました。
その女性はにっこりと軽く会釈をして、後ろの私にプリントを渡してくださったのですが、私の目はシャツの長袖から伸びていた手首に留まってしまいました。
入院中につける患者認識バンドが、右手首に取り付けられていたのです。
抜けるような白い肌で、とてもきれいな横顔の方でした。
少し厚手の大き目のシャツと、か細い腕がとても対照的でした。
「あぁ、この方は本当は入院中で、今日は外出許可をもらって授業に来られたのだろうか…」
その大学のスクーリングは3日間、選択した1つの科目の授業が朝から夕方までびっしりと行われます。全日制の通学の大学で週に1回、4ヶ月ほどかけて行う授業が3日間に凝縮されるのです。自分の興味のある分野を、その道でずっと究めてこられた先生から学ぶのですから、とても楽しかったです。しかし朝からずっと授業に集中すると、随分疲労も伴います。
入院先の病院を抜けて来られた女性にとっては、本当に大変だったことでしょう。
私は3日間、その方の後姿をずっと見ながら、「こんなにまでして、学ぼうとしている人がいるんだなぁ」としみじみ思いました。
そして「どんな状況であっても、やろうと思う気持ちがあれば、思いは実現できるんだなぁ」と。
その授業を選択受講しなければ、会えなかったはずのご縁。
その女性の後ろに座って、プリントを渡してもらわなければ、気付かなかったはずの患者認識バンド。
入院治療を必要としながらも、学びの場所にやってくるという気概に、私は圧倒されました。
スクーリングが終わって京都から東京ヘ向かう新幹線の中、
「もしかしたら、その女性に会って気付きを得る必要があったから、私はその場にいたのかも」そんなふうに思いました。
結局3日間のスクーリング中、声をかけることができなかったけれど、
今でもご自分のやりたいこと、追っていてほしいなぁ。 |
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限界を設けるのは、自分自身。
病気でも「やろう!」と思えばできることが、きっとあるはず。 |
2013/5/3 長原恵子 |
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