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病気と一緒に生きていくこと |
入院中の試験勉強 |
私は大学の通信教育部で芸術学科の歴史遺産コースを専攻しました。
専門は日本の歴史を多面的に学ぶもので、講義型の授業もありましたが、古文書を読んだり、古くから伝わる文化財を後世に伝えるための修復方法を学んだり、寺院に行って現物を見ながら学ぶ等、いろいろな方法のアプローチはとても楽しいものでした。
一部の授業を除き、どの授業も自分の好きな年次に受講して良いのですが、同じコースに所属していた方で、何度か受講授業が一緒になる方がいらっしゃって、ある時、演習の時に同じグループになったことから、言葉を交わすようになりました。
その方はいつも落ち着いていて、穏やかで、にこやかで、チャーミングな人柄で、おしゃれな方でした。
ご家庭でもきっと良き妻、良き母だろうなぁと想像できるような、素敵な方でした。いろいろと話をするうちに、その方がこんなことをおっしゃったのです。
「単位取得試験の勉強のために、入院中、本を持ち込んで勉強したこともあったわ。」
この大学ではテキスト科目の自習形式の学び方と、スクーリング科目の授業参加があり、テキスト科目では指定された課題にそって2つのレポートに合格した後、単位習得試験に合格することによって、初めて単位を取得することができるのです。
その方はある病名をおっしゃいました。決して1日や2日で軽快するような病気ではありません。その日もランチをお誘いしたところ、普通の食事メニューは難しいということで、身体に負担の少ない食事を家から持ってこられていました。入院中、ご苦労なこと、とても多かっただろう、と推察いたしました。
それなのに、入院中、試験勉強?
その大学の専門コースの単位習得試験は、設問に対して自分の学びを総動員して、解釈や考えを述べる筆記式なのです。私にとっては、とても大変だったのですが、その方は試験勉強を病室で行っていたそうなのです。
体調が悪い中、随分、大変だったことでしょう。
でもご本人はこうおっしゃいました、
「
病室の中で好きなことを学べるって、楽しい。とても幸せ。」
さらっと、そうおっしゃるのです。
何かと制限のある空間の中で、
歴史という膨大な時空の勉強をすることはある意味で、異次元へといざなわれるような自由を感じていらっしゃったのかもしれません。
「頑張って単位をとろう」
そう思って勉強することが、入院期間の自分自身を支えるものだったそうです。
ここで、私の心の中で彼女の姿と神谷美恵子先生(1914-1979)の言葉が重なりました。神谷先生は生きがいについて、多くの著作を残されていますが、次のような文章があります。 |
人間が勉強するということは、別に学校を出て、何かの免許状をとるとかということではない。実際の利益を目標にして勉強することではなく、ただ、学ぶこと、その喜びのためだけに私は本を読み、勉強したわけです。
引用文献:
神谷美恵子「女性の生き方について」
神谷美恵子(1981)『神谷美恵子著作集 6 存在の重み』みすず書房, p.58
初出 富山県教育委員会精神開発室紀要 1971/11 |
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まさに彼女にとって、歴史の勉強を続けることは、神谷先生が記しているような喜びだったのだと思います。
それも何かの資格をとるための「必修」や「義務感」からではなく、生きる励みとして。
連絡先は聞かなかったけれど、彼女が京都へ来る時に利用するとおっしゃった駅で降車するたびに、心の中をよぎる思い出です。 |
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人の生きる姿は、他者を鼓舞する力にもなります。
あなたのお子さんも、きっとそのはず。 |
2013/5/5 長原恵子 |
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