私は手術の後、芳しくないと自分が感じる体調の変化が起こると、つい悪い方向へと考えてしまいました。たとえそれは、後から考えれば決して大した変化ではなかったけれども…。
そして、いつになったら手術前のような生活になるのだろうかと、自分の中で大きな焦りもありました。
でも、そのうち心配することに疲れてしまい、ある日こう思ったのです。
「不確かな明日を憂うよりも、今日ある確かなことに感謝する。」
どうしてそんなことを思ったのかわかりませんが、頭の中にそういう言葉が浮かんできたのです。
それからは、心の中でふらふらすることがあったら、呪文のようにその言葉を繰り返し唱えていました。
そして毎晩寝る前に「今日やりたかったこと」のうち「今日できたこと」を数えました。欲張るとろくなことにはなりませんから、1個できたらもう100点だ!と思って、数えたら毎日が何百点にもなることに気付きました。
他人から見ればたとえ些細なことでも、自分にとっては喜びです。
「今日できたこと」は何かのおかげ。誰かのおかげ。
そうしたものに
感謝するようになりました。
そして私は自分なりに、十分幸せではないかと思うようになりました。
それから2ヶ月ほど経ってから、修士課程の折、研究指導をしてくださた恩師がメールをくださったのです。在学当時、お子さんに先立たれたご両親が生きる拠り所とできるような思想を仏教の中から探りたい、と気持ちばかりが先走って、何からどう考えて良いのか、何をどう探せば良いのかさえわかっていなかった仏教初学の私に対して、師として誠実に向き合い、実直に導いてくださった先生です。メールの言葉は宝物ではありますが、病気と共に生きる人にとって、光となる言葉だと思うので、最後の箇所をご紹介いたします。先生の温かいお人柄が表れていると思います。
「ご病気のほうは、ある意味で、永いお付き合いということになるの
でしょうが、是非、毎日を様々な感謝の思いのなかに過ごして
頂けたら、きっと、幸せな気持ちで日々を送って頂けるのでは
ないかと愚考致します。」
私のような未熟な人間は、生きている中で怒り、憤り、憎しみ、恐れといった感情を完全に手放すことはできないけれども、少なくとも、感謝の念を持つ瞬間は、そういった感情から距離を置けるし、幸せな気持ちを引き寄せられる…。メールの言葉はそんな気持ちにさせてくれました。
感謝について神谷美恵子先生は次のように記されています。