病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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困難な道と神様

愛らしい熊のぬいぐるみ「テディ・ベア」はみなさんもよくご存知だと思います。その生みの親である、アポロニア・マルガレーテ・シュタイフ氏は、右手と両足が不自由でした。いろいろな葛藤を持ちながらも、しっかりと生きたマルガレーテの姿には、凛とした強さが感じられます。
まさに「与えられた場所で咲く」という言葉にふさわしい生き方だ、と思います。
マルガレーテに関しては、いくつかの伝記が日本語で出版されています。児童向けではありますが、大人にとっても実に学びの多い本なので、今回取り上げたいと思います。

マルガレーテは今から160年ほど前、ドイツのギンゲンで生まれました。マルガレーテは1歳半の時に、高い熱を出し、その後、両足と右手が麻痺してしまいました。ポリオウイルスの感染によって起こる小児麻痺です。「ポリオ」と聞けば小さいこどもの親御さんは「ああ、聞いたことがある…」と思う方もいらっしゃるでしょう。赤ちゃんが接種する四種混合ワクチンの中に、ポリオに対するワクチンが含まれているからです。

マルガレーテが子どもだった頃、ずいぶん昔の話ですが、まだワクチンは開発されていませんでした。防ぎようのない病気になってしまったことで、ご両親はさぞ心を痛めたことでしょう。
でも決して娘をかわいそうだと嘆くだけなのではなく、自立した生き方ができるようにと、小さい頃から教育してきました。それは他者の目から見ればずいぶん厳しいように映ったと思いますが、後から考えるとそれはマルガレーテの様々な能力を引き出していく上で、重要なはたらきを持っていたのです。

さて、さきほどマルガレーテを「凛とした強さ」と表現しましたが、そこには神様の存在が大きいように思います。マルガレーテは9歳の夏、麻痺の子どもたちの治療で有名であったアウグスト・ヘルマン・ヴェルナー(ウェルナー)先生のところで、治療を受けることになりました。篤い信仰を持ち、慈愛にあふれるヴェルナー先生は、子どもたちに、いつも次のように言っていたのだそうです。

「決して病気によって自分をせめてはいけません。神様は深いお考えがあって、あなたがたをおつくりになったのです。神様はひとりひとりを愛し、いつもそばにいてくださいます」

引用文献:
礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, p.46

小さい子どもは「自分が何か悪いことをしたから、その罰で病気になってしまった」というような誤った考えで心がいっぱいになっているかもしれません。ですから、信頼できる大人から、自分を責める必要はないことを説かれることはとても大切な意味を持つと思うのです。
神様を信じるかどうか、それは個人によって異なると思います。神様、ではなく仏様、或いは別の言い方かもしれませんが、人智を遥かに超えた偉大な存在が自分のそばにいて、自分を愛してくださるというように思うことは、マルガレーテの心に心強さをもたらしたことでしょう。
子どもたちが寝静まった病室で、子どもの回復を願ってヴェルナー先生は真剣に祈っていました。ヴェルナー先生は「人間にできること」と、「できないこと」その限界をはっきりと知っている人間だったからこそ、祈るという謙虚な姿へ突き動かされたのかもしれませんね。
その言葉が「子どもだまし」や「気休め」のために言われたものではないと、マルガレーテの心に伝わったことでしょう。

さて、神様が常にそばにいてくれる、と思っても、術後の結果が思わしくない場合、複雑な気持ちになってしまいます。それは大人も子どもも同様でしょう。マルガレーテは手術をしても、足に力が入りませんでした。そのときヴェルナー先生は、お祈りの時間に次のように言ったのです。

「マルガレーテは勇気にあふれた女の子ですが、その将来にはきびしい道が待ちかまえています」と言いました。
「マルガレーテには、神さまの特別な助けが必要です。
神さまは、苦しんでいる人の姿を見ると、心を痛めます。
けれど、だからといって、その苦しみをいつも取りのぞいてくださるわけでなく、特別のお考えを持って、苦しんでいる人を見守ります。
神さまが、マルガレーテの将来にどんなお考えを持っているかは、今はわかりませんが、神さまが、お考えを持っていらっしゃることはたしかです。
ですから、今は、神さまがマルガレーテを助けてくださるよう、いっしょに祈りましょう」

引用文献:ウルリケ・ハルベ・バウアー著, 田口信子訳(2010)
『マルガレーテ・シュタイフ テディベア 神さまからの贈り物』東京新聞出版部, p.72

苦しみを取り除くことを願うのではなく、苦しみと共に過ごしていける力が得られるよう祈る、ということに注目したいと思います。
誰でも、苦難のない道を選びたいもの。
しかしながら、その道をあえて進んでいこうとする、
それがたった一人で孤独に進むのではなく、
神様の助けを得ながら進んでいく という考え方は幼いマルガレーテの心に深い光を投げかけたことでしょう。
右手と両足の麻痺という大きな困難から逃げることのできないマルガレーテにとって、逃げずに進むという信念を授けたのだと思います。

 
助けを得ながら、前進していくことが、たとえ世間一般の幸せの概念から外れたものであったとしても、本人にとって幸せな瞬間をもたらすものであれば、それは十分意味のあることだと思います。      
2013/7/12  長原恵子