病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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病気と一緒に生きていくこと
深いものを感じる力

目と耳が不自由であった場合、何か美しいものがそこにあったら、それをどんなふうに感じ取るのでしょうか。ヘレン・ケラー女史は美しさを感じることについて、次のように記しています。

眼が見える人たちは、盲人の世界、とりわけ盲・聾二重障害の人たちの世界について、こんなふうに断定しがちです。つまり、さんさんと陽が降り注ぎ、花咲き乱れる自分たちの世界とはまったく違っており、感情や感覚も自分たちとは本質的に異なり、意識は基本的にその障害の影響を受けている、と。

もっとひどいことには、色彩や音楽や形態の美しさからも閉め出されているとさえ思っているのです。
美・秩序・形状・均整といった要素は盲人であっても触知できるということ、その美しさやリズムは感覚よりもっと深い霊的法則からきているということを、こういう人たちには何度も何度も繰り返し話して聞かせるというのでしょう?

いったい何人がこの真理を心に刻みつけているというのでしょう?盲聾の人といえども、眼が見え耳が聞こえる五感をそなえた人たちから同じ脳を受け継いでいるのであり、その霊は、みずからの陽光とハーモニーで内なる静寂の闇を満たしているのです。そういう事実を知ろうと努力する人がいったい何人いるというのでしょうか?


引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.159-160

ヘレンの感じる美しさとは、感覚器でとらえられた刺激を大脳でその姿、様子を再構成し、それを認識する、感じるといった通常の美の知覚とは異なる感知の力を持っていたのでしょう。ヘレンは感知力と霊界との関係についても自叙伝の中で記しているのですが、それが美しさを感知する力にも通じるものがあると思うので、見てみましょう。

私には、自分のもっている感知の力が“神秘的”なものかどうかはわかりませんが、それが覚知的なものであることは確かです。それは、遠くにあるものを盲人が認知できる領域内へ運びこむ能力であり、だからこそ星たちでさえまるで戸口にあるように思えるのです。

この感知力は私を霊界へ結びつけてくれます。また、不充分な触覚の世界から得られる限られた経験を検証し、それを霊的意味に翻訳して私の心へとさし出してくれるのもこの感知力です。

それは、私の中の人間的なものに神的なものを示し、この世と“大いなる彼岸”とのかけ橋、今と永遠とのかけ橋、神と人とのかけ橋を築いてくれます。この感知力は思索的で、直覚的で、回想的です。宇宙には客観的な物理世界だけでなく、客観的な霊界も存在しています。

引用文献:前掲書, p.197

「遠くにあるものを盲人が認知できる領域内へ運びこむ」という能力は、何も距離的な意味を示しているわけではないでしょう。例えば一見ばらばらのように見える情報をうまく統合して、そこに自分の何らかの意識を重ねるという力に長けていた、という風に考えることもできると思います。またヘレンの持っていた「経験を検証し、それを霊的意味に翻訳」する力が、美を感じ取る力と言えるのかもしれません。

それは目と耳が共に健康であったとしても、容易に手にすることはできない能力のように思います。同じ風景を見ても、そこで何も感じないで素通りする人もいれば、そこに何かの美しさを見出して立ち止まる人もいるのですから。
身体のそれぞれの器官は、私たちに必要なプロセスの中でその一部を担っているものです。もしその一部の機能が十分働くことができなくても、プロセスのほかの部分をよりいっそう磨きあげることによって、プロセス全体が保たれるように補えるのではないか…そんな気がいたしました。

 
あなたのお子さんが病気のために何か不自由なところがあるならば、そのプロセスの一部を、どうか伸ばしてあげてください。
2014/1/27  長原恵子