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病気と一緒に生きていくこと |
経験が作り出す自分 |
ヘレン・ケラー女史はアン・サリバン先生との時間の中で様々なことを学びました。その授業法は決して、型にはまった窮屈なものではありませんでした。サリバン先生はヘレンの知的好奇心を活かし、一つのキーワードから、いくつもの分野にわたる学びに広げられていったのです。
それは目や耳が不自由であっても、不自由でなくても、どのお子さんにとっても望ましい働きかけのように思えます。
ある日、海の生物の生活と習性について学んだ時、ヘレンはサリバン先生から「部屋のあるオウム貝」という詩を読んでもらいました。
その詩からヘレンは次のような学びを得たのです。 |
この時私は軟体動物の殻を造る過程が、ちょうど人間の精神の発達を象徴していることを教えられました。
オウム貝の魔法のマントが、水中から吸収した材料を変化してできあがったのと全く同じ方法で、人の拾い集める知識の断片が、同じ変化をうけて思想の真珠になることを学びました。
引用文献:
ヘレン ケラー著, 岩橋武夫訳(1966)『わたしの生涯』角川書店, p.45 |
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「人の拾い集める知識の断片が、同じ変化をうけて思想の真珠になる」ってとても素敵な言葉ですね。
理科の授業が、文学の授業になり、そこから観念の世界へと広がっていくサリバン先生の授業、それは視力や聴力の不自由さの有無にかかわらず、一度受けてみたいと思うのは、きっと私だけではないと思います。
さてこの言葉を読んだ時、病気のお子さんのことが頭によぎりました。
こんな風に読み替えることはできないでしょうか。
「お子さんが病気を通して得られた経験の断片が、
変化をうけて真珠のように人間性が育つ」
あなたのお子さんは今、とても苦しい境地にいらっしゃるかもしれない。
そんな時は「どうして私だけこんな目に…」「もうやっていられない」と思うかもしれない。
でも必ず、時間は過ぎ去っていきますから。
苦しい「今」の気持ちも、明日になれば「過去」の気持ちになるのです。
苦しさをもたらす事実は変えられないかもしれないけれど、明日になればそこから得られた何かポジティブなことを見つけられるかも…。 |
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お子さんが苦しかった たくさんの思いが、真珠のように層を成し、いつか輝きを持ったお子さん自身の成長の糧となりますように。 |
2014/1/30 長原恵子 |
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