病気と一緒に 生きていくこと
家族の気持ちが 行き詰まった時
アート・歴史から考えるこどもの生
前回のエッセイ「言葉から想起する力」の中で「馬」という言葉から思い起こすイメージや言葉について、ヘレン・ケラー女史の言葉を見てきましたが、今日は「月」という言葉を取り上げてみたいと思います。 これからご紹介する文章は、アメリカ先住民であるオジブウェー族の血を引くサイコセラピスト ロバート・ブラックウルフ・ジョーンズ氏によるものです。 オジブウェー族が自然の力に対して抱いていたスピリット、すなわち時に畏怖であったり、敬愛であったり、感謝の念は、その言葉の中に大きく反映され、忙しい生活の中で、とても新鮮に響いてきます。
月を描いてくれと言われたら あなたの月はどんな月? たいがいの人が描くのは夜の月 満月 あるいは三日月、輝いている それでよい でも、たとえばこんな月もある 水に映る月 さざなみにつれて動く きらめく光、それも本物 太陽のある間 目には見えない昼間の月も 誰もが認める 夜の姿に負けず劣らず本物なのだ
引用文献: ロバート・ブラックウルフ・ジョーンズ, ジーナ・ジョーンズ著, 加藤諦三訳(2008)『アメリカインディアン聖なる言葉』大和書房, pp.45-46
そうですね。満月、三日月、水に映る月、昼間の月… どれも見え方は違うけれど、同じ月。どれも本物。 それはきっと人間にもあてはまること。そんな風に思えてきます。 お子さんが、病気であっても、健康であっても、不自由なところがあっても、元気に過ごしていても、お子さんの本質は何ら変わりはないのですから…。