幼い頃、私と姉は自分たちで考え出した「完全な葉っぱ」ごっこをしてよく遊びました。
家の裏庭で木という木を丹念に調べ、大小どんな木のでもいいから、傷のない完全な形の葉を探すのです。
先に「完全な葉」を見つけたほうが勝者になりました。信じてもらえないかもしれませんが、一度のゲームが何時間たっても終わらないことが、特に夏の終わりや秋にはよくありました。
その頃にはもうほとんどすべての木の葉が、虫に食われたり、端っこがしなびたり、その他の数え切れないほどの方法で何がしかの傷を受け、不完全な形になっているのでした。
「完全な葉っぱ」ごっこは、単なるゲームではありませんでした。遊んでいた当初は気づきませんでしたが、それは私たちに、同じ一枚の葉のなかにも美しさと醜さ、完全さと不完全さが共存しうることを教えてくれていたのです。
おそらく葉っぱだけでなく、私たち人間においても同じことがいえるのではないでしょうか。
引用文献:
L.ドッシー著, 森内 薫訳(1995)『癒しのことば―よみがえる<祈りの力>』春秋社, p.37, ドッシー先生あての私信 差出人不明 |