ポールは生後7カ月のときに交通事故にあった。頭を激しく打って、砕けた頭蓋骨の破片がポールの右の頭頂葉、つまり脳の中央の上の部分、前頭葉の後ろに押しやられた。グラフマンの医療チームがポールに初めて会ったのは、彼が17歳のときだ。
驚くべきことに、ポールは計算や数字の処理に問題をかかえていた。右の頭頂葉を損傷した患者はふつう、視覚空間情報の処理を苦手とする。グラフマンたちは、数学的事実を蓄積し、簡単な暗算などの計算をするべき左の頭頂葉が右の代わりをしているために、ポールの左頭頂葉は、損傷がなくても、本来の役割をこなせないのだと考えた。
CTスキャンは、ポールの負傷した右側に嚢胞をみとめた。グラフマンとレヴインはfMRIスキャンをおこない、スキャンされている状態で、ポールに簡単な算数の問題を出した。左の頭頂部には、かすかな反応しか見られなかった。
この奇妙な結果から、ポールの左頭頂葉は、右が処理できなくなった視覚―空間情報を代わりに処理しているせいで、本来あるべき計算の機能を、ほとんど発揮していないことがわかった。
交通事故にあったのは生後7ヵ月で、ポールが計算を覚えるようになる前だ。つまり、左の頭頂葉が計算という特定の仕事を処理するようになる前だったのだ。算数を習うようになる6歳までのあいだ、ポールにとっては、動きまわることのほうがはるかに大切だった。視覚空間処理は必要不可欠の機能だったのだ。それで、視空間認知機能は、右の頭頂葉にもっとも近いところ――すなわち左の頭頂葉に落ちつき先を見つけた。ポールはこれで動きまわれるようになったわけだが、それは犠牲をともなった。算数を習うときには、左の頭頂葉の中心部分はすでに、視覚―空間処理にあてられていたのである。
引用文献:
ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』
講談社インターナショナル, pp. 310-311 |