苦痛と苦しみの違い |
お子さんの病気が手術やお薬、放射線治療等を重ねても、快方に向かわず完治しない病気であった場合、ご家族の心痛は、計り知れないほどとても大きいと思います。
「もう私たちにできることは、全部手を尽くしましたが…」
そんなふうに医師から言われてしまったら、毎日がとても重苦しく、途方に暮れてしまうでしょう。
そんな時に、ご紹介したい考え方があります。
アメリカの循環器医であるディーン・オーニッシュ(Dean Ornish)先生の考え方です。オーニッシュ先生は、20年にわたる研究によって、ライフスタイルや愛が病気を治していくことを示しています。
オーニッシュ先生の言葉は私たちが病気と向かい合う時の視点や自分の立ち位置を考え直す上で、とても参考になります。 |
癒やしと治癒は同じではない。
病気と疾病も同じではない。
苦痛と苦しみも違う。
治癒とは、肉体的な疾病が目に見えてよくなることだ。
癒やしとは、もう一度健やかな全体性を取り戻すことである。
(略)
肉体的な病気がよくならなくても、
完全性に近づくことはできる。
癒やしの過程で、完全性と内なる深い安らぎに到達し、病気への恐れや苦しみが減って、あらゆるものに対する澄みわたった優しさを覚えることがある。
治癒できればたしかにすばらしいが、癒やしのほうが大きな意味をもつことも多い。苦しみから自由になれるからだ。
癒やしと治癒が同じではないように、苦痛と苦しみも同じではない。苦痛は肉体的なプロセスであり、傷ついたことを神経が脳に知らせる情報伝達である。
苦しみとはその体験の受け取り方だ。
苦痛を和らげられなくても、その体験、つまり苦しみを大幅に減らすことはできる。
同じく、疾病は生物学的機能障害の肉体的な現われである。病気は疾病のプロセスと自分との関係の体験である。
引用文献:
ディーン・オーニッシュ著, 吉田利子訳(1999)『愛は寿命をのばす』光文社,pp.21-22 |
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オーニッシュ先生の定義される「治癒」と「癒やし」について考えてみると、先に述べたようなお子さんの場合、「健やかな全体性を取り戻す」ことに注目してもらいたいなぁと思うのです。
ある部分の病変のため、ずっと病院通いをしている、あるいは入院しているお子さんにとって、病変部の改善が見られないことは、本当に気持ちが落ち込むことでしょう。でもお子さんの身体全体から見れば、病変部は身体を構成する1つの要素に過ぎません。
また、病変部は健やかな機能を持たなかったとしても、お子さんの全体性の中で、「可能な働き」を担っていければ良いのです。
100%に近ければ、最も望ましい状態であるけれど、最善を尽くしてその到達が無理ならば、お子さんなりのパーセンテージで、良いと思うのです。
オーニッシュ先生は、癒やしとは、再び健やかな全体性を取り戻すことであり、その過程で完全性と内なる深い安らぎに到達し、苦しみが減り、自由になれると示していますが、どうして自由が生まれるのでしょうか。
それは「こうあらねばならぬ」という呪縛から解放されるからだと思います。大きな高層マンションを建てることはできなくても、こじんまりとした小さな平屋のおうちであればもっと早く作れるでしょう。そこで心地良い楽しみのある生活が始まれば、良いではないですか。
オーニッシュ先生の考える苦痛とは肉体的なプロセスであり、苦しみとは体験の受け取り方です。「体験の受け取り方」、それはきっと価値観や信念によって大きく変わるものだと思います。
あなたの価値観や信念は、医師がどうにかできるものではありません。
でもそれは「あなた」自身ががどうにかできるものなのです。
これまで持ってこられた価値観や信念によって、今の苦しみが生まれているのであれば、早速それを変えていくことが、楽になるための近道です。
楽になることは決して、逃げているわけではありません。
十分あなたは苦しんできたのですから、これ以上苦しまなくても、良いと思うのです。
苦しむことに時間を費やすならば、ぜひ、あなたのお子さんと楽しいことを1つでもやってほしいと思います。お子さんが望んでいることに少しだけでもいいから、近づけるようなことをしてほしいと思います。
それはなぜか?
オーニッシュ先生の言葉を借りれば、お子さんが「癒やされる」ことにつながるからだと思います。 |
癒やされるとは楽に安らかになること、自分の魂との絆を感じ、自分の生が魂の目的にかなっていると感じることである。
引用文献:
ディーン・オーニッシュ著, 吉田利子訳(1999)『愛は寿命をのばす』光文社,p.152 |
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苦しみは心によって生み出されるものであり、なおかつ心によって消し去られるもの。
あなたは、お子さんの心から苦しみを減らすことができるのです。 |
2013/6/26 長原恵子 |