長い間私はじっと手をとめていました−膝の上の南京玉を考えていたのではなくて、この新しい観念の光に照らして、「愛」の意味を発見しようと努めていたのです。その日は朝から太陽が雲にかくれて、ときどき通り雨が降ったりしていましたが、急に太陽が南部特有の麗らかさをもって輝きはじめました。
私はもう一度先生に、「これが愛ではありませんか?」と
尋ねました。
「愛とは、今、太陽が出る前まで、空にあった雲のようなものですよ」と先生はおっしゃいました。
私はこの答を、その時了解することができませんでしたので、
先生はもっと簡単な言葉で説明してくださいました。
「あなたは手で雲に触れることはできませんが、雨には触れることができます。そして花や渇いた土地が暑い一日のあとで、どんなに雨を喜ぶかを知っています。
あなたは愛には触れることができませんが、それがあらゆる物に注ぎかける優しさを感ずることはできます。
愛がなければあなたは幸福であることもできず、その人と遊ぶことも望まないでしょう」
この美しい真理は、たちまち私の心に徹しました。私は自分の魂と他の人の魂との聞には眼に見えぬ糸がむすばれていることを感じました。
引用文献:
ヘレン ケラー著, 岩橋武夫訳(1966)『わたしの生涯』角川書店, pp.38-39 |