仏教の教えでは、思考への耽溺は悟りへの最大の妨げのひとつだと考えられている。注意が思考に集中してしまうと、現実が経験できなくなるからだ。思考はわれわれを「いま、ここ」から、過去へ、未来へ、幻想へ ― つまり、非現実の領域へと連れだしてしまうのだ。思考は日常生活においても不安・罪悪感・恐れ・悲しみなどの ― つまり、おそらくは治癒のさまたげになり、まちがいなく苦悩の原因となる、感情の源泉なのである。
(略)
仏教の教えによれば、からだがあるというのはとてもありがたいことなのだ。なぜなら、こころが過去や未来にさまよっているあいだも、からだが「いま、ここ」にしっかりとつなぎとめてくれるからだ。からだの感覚に注意を向けているかぎり、注意は現在のリアリティにとどめられる。前章で、全身の筋肉に緊張と弛緩をくり返すという、眠る前の簡単なリラクセーション法を紹介した。こころが騒いでいるときにその方法が睡眠をうながすことの理由は、注意を思考からそらして、「いま、ここ」にとどめるところにある。
引用文献:
アンドルー・ワイル著, 上野圭一訳(1995)『癒す心、治る力 自発的治癒とはなにか』角川書店, p.277 |