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お子さんの病気のことを考えると、あれこれ心配事が心の中から湧きあがり、収拾がつかなくなってしまうことがあります。もしお子さんに兄弟姉妹がいらっしゃる場合、本当はそうしたごきょうだいのためにも心を砕かなければならないことがあっても、なかなか気を配ることができないかもしれません。
またお父様、お母様がパートナーに相談しても、それぞれが父として、母として同じ問題(お子さんの病気に関する悩み)を抱えていると、なかなか解決口が見つからないこともあります。
さて「考える」ということについて今日は、最近読んだ本の中から、アメリカの医師 アンドルー・ワイル先生のご意見をご紹介したいと思います。ワイル先生は人間の自発的治癒力について追及をされてきた方ですが、仏教の教えを元に、心と身体について次のように考えられました。

仏教の教えでは、思考への耽溺は悟りへの最大の妨げのひとつだと考えられている。注意が思考に集中してしまうと、現実が経験できなくなるからだ。思考はわれわれを「いま、ここ」から、過去へ、未来へ、幻想へ ― つまり、非現実の領域へと連れだしてしまうのだ。思考は日常生活においても不安・罪悪感・恐れ・悲しみなどの ― つまり、おそらくは治癒のさまたげになり、まちがいなく苦悩の原因となる、感情の源泉なのである。 (略)
仏教の教えによれば、からだがあるというのはとてもありがたいことなのだ。なぜなら、こころが過去や未来にさまよっているあいだも、からだが「いま、ここ」にしっかりとつなぎとめてくれるからだ。からだの感覚に注意を向けているかぎり、注意は現在のリアリティにとどめられる。前章で、全身の筋肉に緊張と弛緩をくり返すという、眠る前の簡単なリラクセーション法を紹介した。こころが騒いでいるときにその方法が睡眠をうながすことの理由は、注意を思考からそらして、「いま、ここ」にとどめるところにある。


引用文献:
アンドルー・ワイル著, 上野圭一訳(1995)『癒す心、治る力 自発的治癒とはなにか』角川書店, p.277

ここではネガティブな色合いの思考によって、ネガティブな色合いの非現実の領域へ連れ出されてしまうことが示されています。あなたがお子さんのことを心配なさって、いろいろと考えるのは「何か親として事前に回避できることがあれば、やって、子どもの負担を減らしてあげたい」という思いがあるからでしょう。それは親心であり、決して否定すべきものではありません。でも子を思う親心から端を発した思考が、あなた自身の心を一層苦しめているのであれば、どこかでその流れを変えていく必要があるように思うのです。

心がばらばらに散ってしまったような時は、心をどうにかしようとしても手こずるかもしれません。仏教に基づくワイル先生のお話を参考にすれば、まずは身体をしっかりと意識することが大切なのだと思います。現実の世界の、現実の時間に自分自身をつなぎとめておくために。
それにはしっかりと食事をとったり、十分身体を休めたり、お風呂であたたまったり…といった人間の基本的な生活によって「身体」をしっかりと充たしていくことが必要ですね。

こうしたことは簡単なことのように思えるけれども、忙しく心を動かしている日々の中ではとても難しいことだと思います。たとえば病室内で家族の飲食を認めていない病院では、付き添いしている方は外のコンビニでお弁当を買ったり、近くの食堂で大急ぎで食事を掻き込み、病室に戻っているかもしれません。お茶を飲んでほっと一息をつくようなきっかけも得られないかもしれません。でも1日1回くらいは、何か自分の生理的な機能をしっかりと補うような働きかけをしてほしいのです。それはあなたが決して贅沢をしているわけではありませんので、罪悪感を持たないように…。
1日1回、毎日やれば1カ月で30回。
何カ月もそれを続ければ、何もしていない時とは遥かに大きな差を生み出して、あなたの身体を作り出していくのですから。

 
あなたが自分のために行うことは、自分のためでもあるけれど、それはひいてはお子さんのためにもなることをお忘れなく。     
2014/2/16  長原恵子