病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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希望とは何か

お子さんが病気で、苦境に立たされた時、周りの人から「どうか希望を持って、諦めないで…」そんな風に励ましの言葉をかけられることがあると思います。
でも、ちっとも好ましい状況が訪れず、毎日停滞しているように感じる時は、「希望」とは何を指すのか、わからなくなるかもしれません。
「いつか立って、歩けるようになる」という希望…
「きっとお話ができるようになる」という希望…
もしもそれとは真反対の状況であり、現代の医学ではそれを改善することが極めて難しいと医師から告げられた時、そうした希望を掲げることが、大きな苦しみを生み出す場合も、あるかもしれません。
「希望」、それは本来、人の心を支え、耐える力をもたらしてくれるはずのものなのに…。

リンカーンの生涯が書かれた『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』(明石書店)を読んでいた時、著者のジョシュア・ウルフ・シェンク氏が『詩の生命力』の著者ミュリエル・リューカイザー氏の言葉を用いて、希望について次のように書かれていました。

『詩の生命力』において、ミュリエル・リューカイザーは、こう書いている。

「歴史のイメージは、想像力を通してわれわれの中に届く」と。そしてこう続ける。

「イエスの生涯、ブッダの生涯、リンカーン、ガンジー、アシジの聖フランシスコらの生涯−これらの生涯がわれわれに強度を感じさせるのは、その強さが目的に集約された生涯、あるいは一日一日が永遠の意味合いを賭けて生きられたように思われる生涯から感じとれるものだからだ。(中略)これらの生涯は、その探求と目的において、それぞれのフォーム、それぞれの真実を提供している。これらの生涯は、希望としてわれわれの許へ届いてくるのである」 と。

その希望とは、苦しみが去ることではない。リンカーンから苦しみが去ったことはなかった。この希望とは、苦しみが明白に認識され、耐え抜かれた場合、われわれを待ち受ける驚嘆すべき難題にわれわれをフィットさせくれる――そういう希望なのだ。


引用文献:
ジョシュア・ウルフ・シェンク著,越智道雄訳(2013)
『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』明石書店, pp.333-334

ちょっと難しいかもしれないので、この言葉を元に整理して、どういうことなのかなあと、わかりやすく自分なりに考えてみました。
苦しみを認識し、苦しみに耐え抜くという過程を経て、結果として苦しみに適応していけること、その一連の過程が、リューカイザー氏やシェンク氏が指し示した希望なのだろうと思うのです。

希望とは苦境から逃げ出すことではなく、苦境の中でも生きていけるようになることであり、そうしたことは誰にでもできることではないからこそ、それらを成し遂げた偉人の生き方を知ることは、希望を知ることだと言えるのでしょう。

そして、ただひたすら耐え忍ぶことが求められるのではなくて、苦境の中で生きていけるような自己変容の力を獲得すること、それが希望の中に含まれるのではないでしょうか。

 
希望とは、あなたとお子さんが大変な状況の中でも、なんとか頑張っていける力を獲得すること。その力の獲得に向けて、Lana-Peaceではカウンセリングを通して、お手伝いいたします。          
2014/4/21  長原恵子