病気を受け入れること、それはお子さんよりも親の方が難しいのかもしれません。私が小児外科病棟で働いていた頃、入院していたこどもたちにとって病気は、自身自分の一部になっているような感じを受けました。ほとんどが先天性の病気のお子さんばかりだったので、生まれてからずっと病気とともに生きてきたことが理由にあるのかもしれません。でも病気を理由にネガティブに育っているような感じは、微塵も受けませんでした。
病気をなかなか受け入れ難いのは、大人である親の方かもしれません。その病気が外見として他者からわかりやすいものであると、親の心配は一層大きくなることでしょう。
さて今日はイギリス出身のミュージシャンである、トム・ヨーク(Thom Yorke)氏について取り上げたいと思います。
彼は1968年10月、イギリスで生まれました。彼の左目の眼瞼は完全に麻痺しており、当初、医師は治る見込みがないと両親に告げたのだそうです。しかし瞼に筋肉移植することが可能となり、トムは2歳から6歳までの間に5回手術を受けました。5回目の手術はうまくいかなかったようであり、彼の半生が語られた『トム・ヨーク すべてを見通す目』の中では、半分視力を失ったとされています。その後、右目のほうに眼帯を着用して生活し、見えにくい左目の方で見るトレーニングをするよう医師から指導を受けました。眼帯をつけて過ごすトムに、こどもたちはニックネームをつけたそうです。父親の仕事の都合で、眼帯をつけてから半年間の間に2度引っ越ししましたが、そのたび、からかわれて喧嘩になったこともあったのだそうです。
でも、トムはずっといじめられた暗い幼少時代を、過ごしたわけではありません。ちゃんとガールフレンドもいて、7歳の時にはファーストキスをしたといいます。
トムは4歳の時、ギターを初めて手にしました。「ミュージシャン、4歳、ギター」そう聞くと「やっぱり英才教育」のように思うかもしれません。しかしトムにとって、そのギターとの出会いは、あまり楽しい思い出ではなかったのです。ギターの弦で指を切ったことから、怒ってギターを壁に投げつけてしまったのだとか。その後7歳の時にスパニッシュ・ギターをもらって習い、10歳の時には初めてバンドを組むまで上達しました。目の病気だから、何もできないのではありません。彼は自分の才能を、少しずつあたためていったといえるでしょう。
その後、家の事情でまたトムは引っ越しをし、パブリック・スクール(イギリスの私立学校)に通うことになりました。その時、トムは以前の友人からいじめにあったそうです。でもそれは決して目のせいではありません。私立の学校に行ったからという理由です。こどもたちにとって違う学校に行くことは、違う社会、違う世界へ足を踏み込んだように思え、うらやましく映ったのかもしれません。
思春期を迎える時期となったトムは、おしゃれも音楽も、自分の好きなものを求めていきました。周囲の友人とは異なる自分のポリシーを貫いていたことから、上の学年の先輩からも目をつけられ、生意気に映ったのでしょう。そこでいじめられたこともありました。ここでも「目」のせいではなくて、その目立つ態度が理由です。しかしトムは標的となる怖さはあった反面、それが心地よくも感じられるようになっていたのだそうです。無視される、のではなく注目されるということは良くも悪くも、自分の存在が認められていることを意味するからでしょうか。
トムは放課後、音楽室の奥にある小さなピアノのある防音ブースで過ごすようになりました。そしてある夏休み、大きな転機を迎えます。ナショナル・ユース・ミュージック・キャンプに参加したのです。そこでは自由であり、あれもダメ、これもダメという堅苦しい音楽の規制が取り払われ、1週間、ギターの集中レッスンやほかの楽器も手にすることになったのだそうです。キャンプの最終日、トムはポリスのロクサーヌを自信に満ちた演奏をしました。 |