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家族の気持ちが行き詰まった時
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どこからどこまでがその子の性格であり、そして個性と呼べるのか…その線引きは、親の目からなかなかできないことだと思います。「お子さんに発達障害があります」と指摘された時に、はいそうですかと、容易に受け入れ、理解するご家族は決して多いとは言えないと思います。

先日読んだ、アスペルガー症候群の息子さんのお母様M.Uさんの書かれた手記には、そうした当初の葛藤が非常によく表れていました。M.Uさんは息子さんが4歳の時に、他のこどもたちと少し違うことがあると自分で感じ始めたのだそうです。その頃、周囲から息子さんのことを、自分勝手だとか集団行動ができないと指摘されましたが、現実を受け入れられず、M.Uさんはますます躾を強化して、神経質になっていったのだそうです。

落胆したり、こどもに手をあげてしまったり、追い詰められたM.Uさんは、息子さんが自分を傷つける「発達傷害児」と思うようになり、いっそのこと、息子さんとこの世から一緒に消えたいと考えるようになるほど、思い詰めていきました。

しかしM.Uさんはテレビで、障害を持つお子さんのあるご家族が、家族新聞を作っていた話を見て、気持ちが変わっていったのだそうです。
家族新聞を作るからいいとか、悪いとかそういう問題ではありません。
その放送からM.Uさんは、そのご家族が強くなろうとしているのではなく、優しくなろうとしていることに気づいたのだそうです。

私はいったい今まで何をしていたのだろう。
現実から目を背け、よその子と比べては不満ばかりせっせと増殖させている。
私には守るべきものがある。
息子はまだかわいい盛り。
もっとおおらかな優しい親になって、子育てをしても
いいではないか。


引用文献:
M.U「未来の自分に届ける新聞」 内山登紀夫ほか編(2014)『わが子は発達障害』ミネルヴァ書房, p.25

そこでM.Uさんはご自身も家族新聞を作るようになったのでそうです。
その時の、M.Uさんの視点がすばらしいのです。
何も、自慢話や武勇伝や笑い話満載の新聞なのではないのです。
どのような出来事を新聞に載せるか、という視点がすばらしいのです。

発達障害の子であろうとなかろうと、こどもはいたずらや失敗をしたり、大人を困らせながら成長していくものです。
しかし、世間の無理解に親も傷ついてしまい、時として自分を辱めるわが子に、必要以上の怒りをぶつけてしまうことがあります。でも本当は心に余裕がほしい。

なにより息子の笑顔を見ていたいのです。
もしも、未来の自分が今の息子を育てたなら、もう少し器の
大きな親でいられるのかも……
という「未来から目線」の分別方式です。


引用文献:前掲書, p.26

それはどんな風なことなのか?
わかりやすいようにM.Uさんの書かれていることを、私の方で一覧表にすると、このようになります。

出来事・様子 M.Uさんはどう考える? どう期待する?
聴覚過敏のためストレス遮断目的で、授業中に机に伏せて寝る。
騒いで、授業妨害するよりまし。寝る子は育つ。
将来大物
いじめにあってしまう。
少なくとも息子がいじめる側にはなっていない。
息子は友達の悪口も言わない。
優しい子

「今」この瞬間は点のようなできごとだけれども、いくつもの点が連なってそのお子さんを形成し、それは未来のそのお子さんの土台へと、つながっているのですものね。
M.Uさんの考え方は、こちらでとりあげた、たんたんくんのお母様じゅんさんの考え方とも同じ路線ですね。

M.Uさんは次のように綴っています。

日々、新聞記者の目線で過ごすというのもよいものです。
学校行事や保護者会などは、毎回、針のむしろに座らされる思いでしたが、「これも新聞のネタさがし」と自分い言い聞かせ、気持ちを奮い起こすことができましたから。

到底記事にできない悲しい出来事も山のようにありましたが、記事にしたことは本当にのちのち笑える思い出話になり、この未来からの目線の発想は、私にとって物事の見方や幸せの価値観を少しずつ変えてくれたように思います。

そんな息子も18歳になり、今は努力の甲斐あって順調な毎日……といいたいところですが、実はその逆で、親子ともにますます辛く厳しい現状です。(略)

よく、人生の試練に出会ったとき、明けない夜はないとか、止まない雨はないなどとたとえることがありますが、障害は一生治ることはありません。今までいろいろなことを試してきましたが、私の子育ては100戦0勝で、苦しみ悲しみの涙には終わりがなく、努力は報われないのかもしれません。

でも、夜なら夜風を、雨なら雨音を楽しむ小さな工夫はできるはずです。強い心になれなくても、ささやかな幸せに気づける気持ちの発達は、親にだってあるものです。
しなやかな心を大切に、楽しみを見つける気持ちを大切に、涙を拭いて発達障害を発達生涯にして。


引用文献:前掲書, pp.28-29

きっとM.Uさんは、文章には書ききれないような、人には言えないたくさんの苦労をしてきたからこそ、ささやかな幸せが重く沈んだ心をどれほど引き上げてくれるか、知っているのだろうなあ。数々の苦労を経た方の言葉だからこそ、その言葉の謙虚さと素直さには奥深さがあるのですね。

 
「ささやかな幸せに気づける気持ちの発達」、それは発達障害のお子さんの親だけじゃなくて、人間として大切なことだと思うのです。
2015/4/17  長原恵子