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            | 家族の気持ちが行き詰まった時 |  
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                    | 赤ちゃんの涙に秘められた神様への祈り |  
                    | 私がまだこどもの外科病棟に看護師として勤めていた頃、心臓外科の先生から、心臓の手術をしてICUで過ごす赤ちゃんを、なるべく泣かせないようにと、厳しく言われたものでした。泣くと心臓に大きな負荷がかかってしまうからです。
 術後間もない頃は、赤ちゃんがなるべく、うとうとねんねするようなお薬が投与されていますが、だんだん回復するにしたがい、そういったお薬は減らしていきます。ですから、どんなに忙しくても、赤ちゃんがなるべくご機嫌でいられるように、いろんな工夫をしていました。音楽をかける、そばにいる、やさしくお布団の上からとんとんする、絵本を見せる、人形をそばに置いたり、ベッドの上につるす、抱っこできるようになったら、抱っこする…。とにかく思いつくことをいろいろ。
 それは今から思えば、心臓の負担を減らす、というだけでなく「一人の人が療養するための環境づくり」として当然のことだろうと思います。ICUといった非日常的な、ある意味「異常」な状況で、赤ちゃんが過ごさなくてはいけないのですから…。
 
 大人の合理的な考え方で行くと「身体に負担が大きいならば、赤ちゃんは泣いたら自分で苦しいと気付き、自然に泣かなくなるはず…」そんな考えもあるかもしれません。しかし、大人の思うようには行きません。
 寂しい時、甘えたい時、おなかが空いた時、怖い時、眠りたいけど、なかなか眠れない時…赤ちゃんもきっと理由はいろいろあって、泣くのです。
 大人がもし、声をあげてあんなに泣くとしたら、きっと相当疲れるだろうに…と思うけれど、そんなことお構いなしに泣く赤ちゃん。
 その底なしのパワーは強い生命力の現われのようにも思えますが、先日読んだ本の中に、すごく素敵な言葉がありました。
 それは生まれた時から不整脈があった、ある男の子のお話。
 今日はそのお話をご紹介したいと思います。
 
 その男の子は不整脈と喘息があり、泣くとチアノーゼが起こってしまうため、ご両親は24時間、交代しながら抱っこしていたのだそうです。おうちでは生後8か月の時から酸素ボンベを使うようになり、それはどこに行く時も必要になりました。脈を検知して血中酸素濃度の目安をお知らせしてくれるパルスオキシメーターのアラームが鳴る生活は、ご両親の心のアンテナを、常にピリピリさせていたことでしょう。ご両親はいつでもすぐに病院に連れて行けるよう、洋服を着たまま寝ていたほどでした。男の子は喘息もあって入退院を繰り返し、入院時は毎晩お父様が付添で病室に泊まり、朝、病院から仕事へ出勤されたそうです。そうした入院の延べ日数は、2年にも及んだそうです。
 そして3歳でペースメーカーが埋めこまれ、おうちでの酸素は9歳まで使用され、10歳の時に、不整脈を起こす異常な電気興奮の発生場所を焼灼する治療が行われたのだそうです。
 
 そうした大変な毎日を経てきたら
 「ぼくもみんなと同じように、いっぱい好きなように遊びたい」
 「どうしてぼくだけ?」そんな風に思うことでしょう。
 でもその男の子は、こんな言葉を話しているのです。
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                          | ぼくは、病気を選んで、生まれてきた。
 
 希望をもって、
 生まれてきた。
 
 心を感じることで、
 勇気が出る。
 
 それがつまり、
 希望のことなんだ。
 
 ぼくが病気で生まれたのは、
 ずっとずっと、幸せになるためだよ。
 
 ぼくが赤ちゃんのとき、いっぱい泣いたのは、
 赤ちゃんは言葉をしゃべれないから、
 神さまに「もっと大きくなりたい。お兄ちゃんになりたい」
 っていう、お祈りだったの。
 
 それで神さまが、お願いを聞いてくれたから、
 ぼくはこんなに大きくなったんだよ。
 
 だから、ぼくが泣いても、
 ママは「かわいそう」って、思わなくてよかったんだよ。
 
 おなかの中にいるとき、心臓がドキドキしちゃったのは、
 そのほうがおもしろいと思ったから。
 
 おなかから出るときは、神さまが
 「早く出ないと、大きくなれないよ」っていった。
 引っ張り出されるだけだから、怖くなかった。痛くなかった。
 
 でも、息が苦しくなるのは、決めていなかった。
 喘息になるのは、決めてきた。
 だって、治すのが、おもしろいからね。
 ママ、ごめんね。
 
 赤ちゃんが病気のときは、
 「苦もあれば、後から楽もある」ということを、
 神さまが、伝えてくれている。
 だから、心配しなくていい。だいじようぶ。
 赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。
 というか、生きているものには、必ず、楽がある。
 引用文献:
 いんやく りお(2012)『自分をえらんで生まれてきたよ』サンマーク出版, pp. 34-37
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                    |  赤ちゃんが泣くたびに、ご両親はそれはそれは、毎回はらはら、どきどきしたはず…。でも当のご本人は「神様へお願いしていた」んですね。
 大きくなりたい、お兄ちゃんになりたいって…。
 そういう大切な祈りが込められていたんですね。
 心臓が苦しかったはずなのに、息が苦しかったはずなのに、それでも泣けるって、そういう祈りが隠されていたから…?!
 
 そんな風に考えたこと、私は一度もなかったです。
 赤ちゃんが泣くたびに「ミルクかな?」「おむつかな?」「抱っこしてほしいのかな?」「赤ちゃんもストレス発散したいだろうなあ」そんな風に考えていた私は、ちっとも赤ちゃんのことわかっていなかったなあ。
 赤ちゃんは大人が考える以上に、いろんな深い思いをそれぞれ抱いているんだなあ…改めてしみじみと思いました。
 そして、泣いてばかりいる赤ちゃんを前に、疲れ切って茫然としている時は、ちょっと視点を変えて、考えてみた方が良いですね。
 
 泣いている理由は「祈り」かもしれないと…。
 
 赤ちゃんが、自分の身体に負担をかけてまで、神様に届けたい祈りって、何なのでしょう…。
 
 それでも、泣くことがやっぱり、その赤ちゃんにとって負担が大きすぎて良くない時は、赤ちゃんに言い聞かせてあげることが必要かもしれない。
 「あなたのかわりにパパやママが、しっかり祈るから、今はゆっくり、休んでね」って…。
 そういう気持ちで接するようになったら、赤ちゃんの泣き方は少し変わってくるかもしれませんね。
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                    | 赤ちゃんの心と行動は、大人の常識を遥かに越えて、大人よりもうんと成熟しているのかもしれない。赤ちゃんって本当にすごいな…。 |  
                    | 2015/12/28  長原恵子 |  |  |  
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