カードが開いたこどもの世界 |
これまであまりBSのテレビ番組は見ていなかったのですが、昨日初めて見たBS日テレの番組、とても良いものでした。「小さな村の物語 イタリア」です。既に開始から10分近く経っており、登場した美しい風景に私はてっきり旅行番組かと思ったら、ナレーションの様子がどうやら違う。それはイタリア ウンブリア州の村、カーサカスタルダに住むある家族の物語だったのでした。 |
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イタリアの首都ローマから北に約180km、カーサカスタルダはブーツのような形のイタリアの真ん中あたりに位置する内陸の村です。この村は8世紀当時、この地方を治めていたカスタルド家が要塞を築いたことから始まったと伝わります(※1)。
家族は四人、父、母、そして小学生の息子二人です。次男には生まれつきとても重い障害があるとわかり、両親は強いショックと悲しみに陥ったのでした。涙にくれる日々、そして非常に数の少ない病気だと知った両親は、どんなに心細く思ったことでしょう。しかしある日のこと、次男がコミュニケーションカードに興味を示すことに気付きました。そこが大きな転換点になっていったのです。息子と気持ちを通わせ、コミュニケーションをすることができると知ったことは、両親にとって何より大きなギフトであったに違いありません。簡単なイラストと単語が鮮明に描かれたカード、それが次男に外の世界とのつながりをもたらすことになったのでした。
夫妻は次男のリハビリを自分たち流で取り組んでいきました。稀少疾患である、だからこそ前例にとらわれず、自分たちのやり方で我が子にとって「良い」と思うことをやっていったことを彼らは振り返ります。片手を握りながら平均台の上を歩かせたり、壁際に沿って設置されている肋木をよじ登ろうとする息子の腰をしっかり支えてあげたり。それはリハビリというよりも、何とか良くなりますようにと願う愛や祈りに満ちた親心を形に変えた時間、と表現した方がふさわしいのかもしれません。
布張り職人の父親は朝5時から仕事に取り掛かります。それはこどもと過ごす時間を増やすためです。彼の仕事風景として籐椅子の傷んだ座面を張り替えたり、モダンで大きなソファーに鮮やかな赤い布を
しわ一つ生じさせず美しく張っていく様子が紹介されていました。何度も何度も地道な工程を黙々と重ねる彼の実直な仕事ぶりは、その人柄そのものが現れているかのようです。
彼はこどもたちを学校に送り、友人たちの輪の中に入っていくのを見届けると、「チャオ!」とさりげなく立ち去っていきます。まったく気負った様子はありません。
父親として彼が何をどう考えているのか? 番組の中でもその発言に字幕が出てきましたが、うっかりメモし忘れたのでこの番組制作会社、テレコムスタッフのページを引用します。
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困難は付きもの、そう言い切れる潔さはなんだかとても神々しいです。
母親はコミュニケーションカードを今もパソコンで手作りし、印刷出力したものをパウチ加工していました。頻用に耐えるような工夫ですね。それもああ大変だ、面倒だではなく、とてもその作成が嬉しそうです。
成長に伴い、生活の場によって必要な語彙が増えていくことも、成長の証ですものね。彼女のつける日記には大きな写真がページに貼り付けられ、その下にコミュニケーションカードが数枚、文章になるように添えられていました。次男も解読可能な手段をとることは、思い出を共有することにつながりますね。
次男にとっては自分が捉えた外的世界を「言葉(とイラスト)」によって捉え直すことにより、記憶の引き出しの中に入れることができるようになった、と解釈できると思います。やがてその「言葉(とイラスト)」の役割は自分の内的世界を外へ知らしめる手段へと変わっていく。心の内側の引き出しに収めるものが増えると共に、内面を表出する機会を持ち、そこで得られる外界の反応によって更に新たな状況が生まれる。そうしたことを繰り返すうちに、次男の奥底に潜んでいた可能性、成長力が引き出されていった、いわゆる教育学などで用いられる表現「建設的相互作用」が生まれた、と言えるのではないでしょうか!
食事の時間にペロペロキャンディを食べたいとカードで主張する我が子の姿に、そんな風に口げんかができるようになったと母が喜んでいたのも印象的でした。
母の作るコミュニケーションカードの発想は、村の中の案内板にも応用されるようになりました。誰にとってもわかりやすいものですから!
次男は動きやすいようにと寝巻のようなジャージとトレーナーで1日過ごすわけでもありません。他の子どもたちと特に変わりなく、同じような服を着て、しっかり靴を履かせて出かけていきます。ゆっくりと手をつないで歩いて。街の中の人々の態度もとてもあたたかいのです。彼は画面の中ではそれほど表情豊かではないけれど、それは恐らく病いの影響もあるのでしょう。でも心の中はあたたかい愛情の家族と村の人々に囲まれて、表情に現れる何倍もの嬉しさを感じていることが、画面を通して伝わってきます。
他の家庭とは一味違うコミュニケーション、次男にどうしても時間を割きがちであること、それは親としてのジレンマでもあるかもしれません。長男の心について慮る発言もありましたが、家族の団欒の様子は親の懸念を吹き飛ばすものでもありました。お兄ちゃんの心の中にも、幼い頃から様々な状況を引き受ける大きな度量が育っていたのだろうと思います。
人によって人は育つ。人の中で人は育つ。人が可能性を育む。
そう思えるイタリアの家族のストーリーでした。
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番組冒頭10分くらいを見ていないので、きっと大切な情報を見逃してしまったんだろうなあとすごく残念。なおかつ私が見たものはどうやら4月上旬放送の再放送分だったようなのですが、あまりにも良い作品だったので、ぜひTverなどでしばらく配信してほしいなあと思います。そして新型コロナウイルス感染で甚大な被害を受けているイタリア、このご家族は大丈夫だったのだろうか。こうした緊急事態や災害等の場において、非日常が長く続くことは特に病気、障害のあるこどもたちにとっては大きな負担であるはず。でも、でも、もしかしたら健康なこどもの家族以上にこのご家族は強く過ごせてきたかもしれない。それは逆境の中で信念をもって立ち上がる時間を過ごしてきた人々だから。。。
世の中はどこも「今まで経験したことのない」状況。そのような時に小さな幸せを積み重ねていくこの家族の姿は、学ぶべきことがとても多いと思いました。なんだか心がほっとあたたかくなります。人が人を信じられる、そんな気がすごくしてきます。
そして番組作りについて一言。インスタ映えするから、とか流行りのグルメどころだから、とかではなく、誰かをこけ落としてそれを笑いにするとか、お涙頂戴みたいなやらせのような仕掛けとか一切ない番組でした。
実際の世界の中でこうして懸命に生きている素朴な家族の「日常」を切り取ったものは、どんなにお金をかけたセットや豪華ゲストが出演していなくても、人の心の中にとても静かな感動を引き寄せてくる。番組製作者たちの矜持が伝わってくるような、久々にとても清々しい番組でした。
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引用ウェブサイト一覧:
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図: |
図1 |
イタリア ウンブリア州 カーサカスタルダ (当方作成) |
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何かのきっかけと「言葉」によってきっと心の扉が開くはず。「周りがどうか?」ではなく「どうありたいと願うか」そこに事態を動かすヒントがあるのだと思いました。 |
2020/5/3 長原恵子 |