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アート・歴史から考えるこどもの生 |
埴輪「踊る人々」
(国立東京博物館所蔵) |
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(※写真1 埴輪「踊る人々」)(撮影許可あり) |
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出土場所 |
埼玉県熊谷市野原字宮脇 野原古墳出土 |
数量 |
2個 |
寸法 |
復原高64.1cm,57.0cm |
時代 |
古墳時代・6世紀 |
列品番号 |
J-21428 |
所蔵先: |
東京国立博物館(東京) |
出展先・年: |
東京国立博物館(東京), 常設展示, 2018 |
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昭和5年(1930)年3月、埼玉県大里郡小原村の山林を開墾中に人が踊る姿の埴輪が刀や装飾品等と共に出土しました。翌月、埼玉県知事は宮内大臣(現在の宮内庁長官に相当)に埋蔵文化財発見届を提出したものの、宮内省からは陵墓でないとの理由から、帝室博物館(現在の東京国立博物館)の所管事項ということになった(1)のです。そこで出土品は調査の必要があると判断され、帝室博物館に送られました。そして昭和6(1931)年6月、当時帝室博物館に勤務していた後藤守一氏が「踊る男女」と命名(2)したのだそうです。翌年の12月、帝室博物館は出土品を埼玉県から購入しました。
やがて30年の月日が流れゆき、昭和37(1962)年2月、この踊る埴輪が出土した前方後円墳(野原古墳)はゴルフ場芝張用盛土採掘に伴い、埼玉県教育委員会によって発掘調査が行われることになりました。全長40m、後円部径16m、高さ5mで後円部と前方部にそれぞれ、凝灰岩の切石を用いた横穴式石室が構築され、後円部石室からは大刀や鉄鏃、刀子、前方部石室からは大刀、刀子破片が出土しました。そして採土工事中には朝顔形埴輪や女子像、男子頭部、翳(さしば:鳥の羽などを張った柄の長い団扇のような形のもので、貴人の外出時に使われたもの)、大刀、馬といった形象埴輪が発見されました。更にその2年後、昭和39(1964)年、立正大学文学部考古学研究室により8基の円墳が発掘調査され、現在は23基の古墳が確認されました(3)。 |
二体の内、大きい方の埴輪は耳と思われる部分は穴が開いているだけですが、背の低い埴輪の方は耳の辺りに小さな突起のようなものが左右に二つずつ付いています。東京国立博物館のウェブサイト解説(4)によると、これは美豆良です。美豆良(みづら)とはいかにも万葉仮名といった感じですが、実際万葉集を見てみますと「多波美豆良(たはみづら)」という植物の名前が登場します(作者不詳,万葉集第14巻, 3501番)が、今回の埴輪の美豆良とは古代の男性の髪形の名称です。額の中央で髪を左右に分け、それぞれ耳横で縛って垂らしたり、輪にしたりといったバリエーションを持たせた髪形のことを指します。
こちらの埴輪は腰紐の後ろに鎌をさしていることから、農夫を表している(5)と考えられているそうです。
野原古墳からは他にも儀式に参列する人物を表したと考えられる埴輪が数多く出土していることから、殯(もがり:人が亡くなった後、相当期間をかけて仮安置し、死を悼み、再生の可能性がないかを確認する)などの葬送の場での歌舞の姿を写した(6)と考えられているそうです。
ただ、現在ではそうした解釈も変化しているようで、埴輪に添えられていた展示解説板によると、片手を挙げる所作と腰に下げる鎌から、馬の手綱を曳く2体の男子像である可能性が指摘されている(7)のだとか。
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※写真2 埴輪「踊る人々」 |
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※写真3 埴輪「踊る人々」 |
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踊っているのか、馬を曳いているのか、あるいはまったく別の新解釈がこれから登場するのか?
いずれにしてもこの埴輪からは、どこか元気いっぱいのこどもが放つような活き活きとした生命力を強く感じます。
口を開けているのは何か歌っているのか、大声で叫んでいるのか?
両腕の表情も、実に絶妙です。 |
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※写真2 埴輪「踊る人々」 |
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「深呼吸して〜!」そう言っているような気もしてきます。
困った時、行き詰まった時、病床のこどもたちがこの埴輪を見ていると、何やら心が氷解してゆるゆるできそうな…。そんな力を貰えるような埴輪です。 |
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参考資料・ウェブサイト: |
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2018/5/15 長原恵子 |
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