ここで黒部ダムの歴史をちょっと・・・
明治33(1900)年、助手の上中啓三氏と共に牛の副腎から「アドレナリン」を世界で初めて結晶化に成功した方、高峰譲吉氏が黒部ダムと深い関係があります。高峰氏は富山でアルミニウム事業を立ち上げようと計画された時、その加工に多量に必要とされる電力を確保するため、水力発電に注目されました。そこで黒部に白羽の矢があたったのです。
大正6(1917)年、土木技師が派遣されて、黒薙(くろなぎ)まで踏査しました。高峰氏は残念ながらその5年後、大正11(1922)年に逝去されましたが、黒部の開発は継続され、
大正14
(1925)年、日電(にちでん)歩道が開削されることとなりました。 |
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日電歩道は現在の仙人谷ダムから黒部ダムまでを黒部川沿いに結ぶ歩道。
解説板によると、測量隊は岩壁に打ち込んだ鉄棒に丸太を吊り、針金で結んだ幅数十センチの桟橋をつたって、岸壁を這うように進んで行ったそうです。下記の写真2枚(人が橋を渡る、崖を登る)は、上演されていたビデオ「くろよん物語」の一場面です。 |
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未開の山奥への荷物搬送波本当に大変です。標高2,700mの立山・一の越を越える際は、一人75キロもの荷物を背負って進んだのだそうです。 |
ダム工事の資材の内、なんと670トンは人力で運んだそうですから、驚きです。 越冬作業時の資材の一部はヘリ輸送されましたが、不安定な天候や乱気流で危険を伴っていたそうです。 |
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ダムレストハウスでは解説用の短編映画「くろよん物語」(11分)が上映されていました。すごいド迫力です。 |
再現の人形もありました。トンネル掘削は落盤や浸水など、想像以上に恐怖を伴うものだったことでしょう。 |
昭和31(1956)年7月、建設工事着工、そこから7年の歳月を経て、そこで働かれた方は延べ1,000万人、その中には171名も殉職された方がいらっしゃるそうです。そしてついに昭和38(1963)年6月、黒部ダムが完成となりました。 |
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黒部湖の水の色です。
光の具合で随分変わりますが、霧が晴れて、太陽光が燦々と降り注ぐと、湖水の波の背がきらきらと光って、とってもきれいでした。
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黒部ダムの中心です。 |
ダムの高さ186mダムの長さ492m標高1454m |
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恐々、下をのぞいてみると… |
美しい水でした。 |
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黒部湖駅側の湖岸、ここに木が? |
まさしく孤高の木って感じです。 |
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コンクリート塀の隙間から… |
小さくても力強い生命力。 |
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