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麻痺した右手で奏でるチター

「困難な道と神様」のページで「テディ・ベア」の生みの親である、アポロニア・マルガレーテ・シュタイフ氏のお話を取り上げました。今回はマルガレーテがどのように病気(右手と両足の麻痺)と向き合っていたのか、その心の動きについてご紹介したいと思います。
両足の麻痺を治すために、マルガレーテは9歳と10歳の時に、マルガレーテの住むギンゲンの街の慈善委員会から治療費を出してもらい、2度手術を受けました。手術の後、一生懸命リハビリにも励みました。

しかし、残念ながら麻痺は治りませんでした。
どんなに辛かったことでしょう。
マルガレーテは学校が終わった後、同級生の女の子たちと一緒に洋裁学校に通っていましたが、友達が恋愛話で盛り上がっている時、言葉に表せない寂しい気持ちで、心の中はいっぱいでした。

『なぜ神様はわたしに、障害があるからだをあたえたのですか?
なぜみんなと同じ幸せをあたえてくださらなかったのですか?
わたしはふつうの女の子になりたい』
心の中で、そんないらだちを神様にうったえました。


引用文献:
礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, p.58

複雑な気持ちが入り混じりながらも、マルガレーテは決して世の中をはかなみ、卑屈に生きていたわけではありません。
13歳、音楽の好きだったマルガレーテは、チターという弦楽器を習い始めました。チターは何本も細い弦が張られたお琴のような楽器です。両手を器用に使いこなせなければいけません。右手にはチターリングをはめて、弦を弾くのです。健康な手であっても、たやすく弾けるような楽器ではありません。
右手に麻痺のあるマルガレーテにとって、一つの音をしっかり出すだけでもどんなに大変なことだったでしょう。
チターの講師からも難しいと言われ、何度もくじけそうになっても、マルガレーテはチターの練習をやめませんでした。

『自分で決めたことをやりとげることができなかったら、きっとこの先、大事なことは何ひとつやりとげることはできない。
いつまでも人の助けにすがり、自分をあわれむようなみじめな生きかたは、ぜったいにいやよ』


引用文献:
礒みゆき(2011)『マルガレーテ・シュタイフ物語 テディベア、それは永遠の友だち』ポプラ社, p.62

数ヶ月間、マルガレーテは練習を積み重ねました。
随分、大変だったことだろうと思います。
そして、なんと、マルガレーテはたくさんの曲を弾きこなせるようになっていったのです。
お祭りの広場でも演奏し、チターを習いたい子どもに教えるほどの腕前になっていったのです。右手の麻痺した方が、チターの先生ですよ!
感動すると共に、わくわくしますね。

 
私たちは世間的な常識にしたがって「できるわけない」と線を引いてしまいがち。でもそれが「すべて」なのではなく、そのハンディを上回る何か能力を、人間は持っているのだと思います。         
2013/7/15  長原恵子