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あえて雪道を歩こうとした少女

こどもは大人が考える以上に、成長の伸びしろを持ち、そして大人が考える以上に強い存在なのかもしれません。そして幼い頃から病気であることがハンディになるのではなく、むしろ成長する能力や可能性を、もっともっと引き出しているのかもしれません。ある少女の言葉を知って、そういう思いが強くなりました。今日はその言葉をご紹介したいと思います。

2001年秋、女の子 サユさんが生まれました。サユさんは生まれた時、元気いっぱいでしたが、7か月の頃、受けた健診で、身体の左右の動きに差があることがみつかったのです。CTやMRIの結果、脳梗塞の痕がみられると指摘されました。

ご家族はサユさんの可能性を信じて、リハビリをサポートし、またサユさんも頑張りました。そして2歳の頃からお話もできるようになり、幼稚園に入る頃には、足に金属製の装具をつけて、歩けるようになったのです。サユさんは左手がうまく使えなかった分、右手を主に使ってカバーし、小学校はお兄ちゃんと同じ学校へと、入学したのです。

新しくスタートした小学校生活、その中で、サユさんはいくつか症状を示すようになっていきました。過呼吸を起こすようになり、1日に何度も起こす時も出てきました。過呼吸を起こすと学校から連絡があり、お母様は迎えにいくようになりました。またサユさんの頭部には、円形脱毛もみられるようになりました。お母様はサユさんに気付かれないように髪を結ったり、薬をつけてあげたり、一生懸命でしたが、治っては、また出来て、を繰り返していたのです。
やがてサユさんは過呼吸の前に、震えが起こるようになりました。小さなこどもにとっても、「震え」は自分の目で見て気付けるはっきりした変化。幼心に、自分の身体に起こった変化を、不安に思ったことでしょう。だんだんサユさんは、学校を休みがちになっていきました。ご家族はサユさんに合った、過ごしやすい教育の場を選び、サユさんが小学2年生の時、国立大学付属の特別支援学校の小学部に転校することになりました。
新たな環境はサユさんにとって吉と出て、サユさんは学校生活の中で、落ち着きを取り戻していったのです。

やがて5年生の時に、サユさんは支援学校の中等部に進学するのではなく、外の中学へ進学したいと希望するようになりました。

「わたし、支援学校にいると先生に甘えるの。
わたしが困る前に、先生が先回りして
助けてくれることも多い。
だから、もっと失敗をするために普通の中学校に
通わせてほしい」

ですが、親としては悩みます。健常な身体を持つ生徒のなかで、身も心もついていけなくなった小学1年生のころを思うと、何が正解かわかりません。

少し考えさせてほしいと思い、わたしはこう言いました。

「お母さんは即答できない。
支援学校での教育は工夫がされていて、充実しているもの。
将来のサユのために、どちらがいいのか考えさせてほしい」

するとサユはこう言いました。
「ママは、前の小学校のときのことを気にしているんでしょう?
あれは、わたしが弱すぎたからなの。
今の支援学校では、重度な障がいのある友達が、わたしより
ずっと頑張っているの。
わたしは、たぶん自分の身体が嫌だとか言って
逃げていたんだよ。
あのころの自分に会えるなら、殴ってやりたいくらい。
もっと頑張れって!」

娘の強い気持ちに押されました。もし彼女の決断が間違っていたなら、そのときに一緒に考えてあげればよいのです。
そう思いました。


引用文献:
菊池桃子(2015)『午後には陽のあたる場所』扶桑社, pp.119-120

自分自身を冷静に見つめて、自分自身とこんな風に向き合えるって、素晴らしいことですね。サユさんは当時まだ小学5年生です。この世に生を受けて、10年ほどだというのに、このような自分の意思を持てるって、本当にすごいことだなあと感嘆いたします。
どんな時間を過ごせば、こういうポジティブな思考を持てるようになるんでしょうね。ご家族の関わり、学校での関わり、友人関係…いろんなことに、そのきっかけがあったのだろうと思いますが、そうした経験や環境からの要素をしっかりと吸収し、そこから強い意思を持てるようになるということは、本人に依存する部分が大きいように思います。
熟達した魂、まさにオールドソウルの持ち主だなあって思います。

サユさんに共感したご家族は、サユさんの意思を尊重しました。そしてサユさんは外の中学校に進学したのです。 サユさんの心の成長は、ますます進化を遂げていきました。中学1年生の初めての冬、サユさんのおうちのあった東京でも雪が降りました。夜降り続いた雪は朝の路面にも残っていたことから、お母様はスタッドレスタイヤを装着した車で、サユさんを学校まで送ろうと考えました。しかしサユさんは激しく抵抗したのです。無理矢理車に乗せられたサユさんは、車中、大変怒りました。

「これまで、お母さんの言うことはたいがい正解だったのかも
しれないけど、今日は間違っている!
東京で雪の道を歩く練習ができる日って、大人になるまでに
何回あると思うの?
お母さんはわたしよりも先に死ぬんだよ。
親が元気なうちだから安心して失敗できるのに、
どうしてそれをさせてくれないの?
あなたが元気なうちにいっぱい失敗させてください」


引用文献:前掲書, p.127

「大人の常識」といった視線を向ければ、お子さんが雪道で転倒して、けがをしないように…、危険な目にあわないように…と思うことは自然な流れです。大人が先回りして、安全策、事故予防策をとろうとするお母様のとった行動は、ごく自然なこと。そしてもちろん、自分で身の危険を回避できないような年齢や状況のこどもにとって、親がこどもを庇護しようとする行動は必要不可欠なものです。
それらは正論であるにしても、でもサユさんの発想もすごい!
自分の身体にどのような不自由なところがあったとしても、その不自由さは「自分自身の一部」だと受け入れているからこそ、出てくる発想なのだろうと思うのです。「こんなはずじゃなかった」とか「こんなの、私嫌だ」と思い続けていたならば、「親が元気なうちにたくさん失敗したい」という思考には至らないですものね。
こどもって本当にすごいなあ。
そして成長の可能性って本当に未知数で、そしてたくさんの希望がいっぱいですね。

 
いろいろな出来事や経験を通して、様々なことを咀嚼、吸収し、自分の可能性を広げようとするお子さんの力、頼もしいですね!   
2016/3/18  長原恵子
 
関連のあるページ(菊池桃子さん)
「あえて雪道を歩こうとした少女」※本ページ
「気持ちを切り替えて、生まれた新しい道」