恐怖を乗り越えて描き進める絵筆 |
アメリカの画家ティモシー・チェンバーズ(Timothy Chambers)氏の筆からは、とても美しい世界が生まれます。それは時に人であったり、風景であったり。右の写真は書籍からの引用なのでモノクロですが、彼のウェブサイトではフルカラーで見ることができます。波打ち際に佇む少年と少女。少年はスコップを手にし、少女はバケツを手にしています。スコップの面はいくらか砂で覆われています。彼らはきっと砂遊びで楽しいひと時を過ごしたのでしょう。少女のそばには子犬が寄り添っています。絵からはとても清々しくて穏やかで、平和な波動が放たれていように感じられます。 |
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ウェブサイトの同じページには彼の肖像画への思いが記されていました。彼にとっての肖像画とは単に事実を記録する写真の代わりなのではなく、その人の性格や価値、活力までも表現するのであり、それはまるで、シンプルな言葉から最も美しい詩を生み出すことにも似ているのだと。
そんな彼が目の病気を患っており、アメリカの社会生活上「盲人」とみなされていると、想像がつくでしょうか?今日はティモシー・チェンバーズ氏のお話を取り上げたいと思います。 |
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彼は幼い頃から耳が不自由であったため、5歳の頃から補聴器を常につけて生活をしていましたが、特に目の症状を自覚したわけではありません。ただ、高校時代に夜、外を歩いていた時、木の枝にぶつかりそうになって友人から注意をうけたことがあったそうです。暗いところで見え方が悪くなる夜盲の症状が、その頃、出てきていたのでしょうか。だからといって、生活上、特に不自由さを感じていたわけではなかったのでした。
父親が肖像画家でもあったことから、彼は幼い頃より絵の世界に親しみ、絵を描くことをこよなく愛していました。大学進学後も大学のみならず様々な指導者から専門的な教育を受ける機会を得て、彼も画家の道へと進みました。そして1993年、彼が30歳の時、1,400人も参加した肖像画の国際大会で彼の作品「Ashley(アシュレイ)」は2位を獲得したのです。淡いピンク色のワンピースを着た少女が人形を手にして立っている肖像画は、色調、絵筆のタッチ、構図、様々な点から美しく見事な作品です。いずれは大統領の肖像画を任されるような国内随一の肖像画家になろうと、夢や希望にあふれていたのでした。 |
受賞後のある日、彼は毎年定期的に受けてきた目の検査に出かけました。すると医師の表情が曇ったのです。「何かおかしい、網膜の専門医を受診した方が良い」と。ワシントンD.C郊外の専門医を紹介され、そこで彼は「アッシャー症候群」だと告げられました。そしてあなたはこれから目も見えなくなるし、耳も聞こえなくなると告げられたのです。
その説明をとても信じ難かった彼は、持参した自身の作品集を医師に見せました。しかしその医師は数ページぱらぱらと見た後、作品集を押し返し、彼に新しい仕事を見つけた方が良いとアドバイスしたのです。そして自分の診断に納得できないなら、セカンドオピニオンをもらえば良いと。
医師は診察・検査所見から診断を伝え、専門的な見地から予後について見解を伝えたわけであり、確かに職業的な責務を果たしたのでした。しかしその場の医師とのやり取りや雰囲気は、彼の心をひどく傷つけたのです。
突然の病名告知により、彼は自分の未来が奪い取られたような気がしました。今迄築き上げてきた実績も消し去られ、自分の人生から平安といった言葉はもう見つけられないように思ったのです。目も見えない、耳も聴こえなくなってしまったら、この先、自分はどうやって生きていけば良いのだろう……。
彼はインタビューで次のように語っています。 |
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画家に必要な視覚が奪われること、それは生計を立てる手段が奪われることでもあるのです。自分は、そして家族の生活はどうなるのか。絶望の中で彼の心には何度も何度も恐怖が湧き上がりました。これから起こり得る病気の進行、そしてこれから自分が失うものへの恐怖。これまでのように何かを生みだしたり、作り出すことができなくなる自分……。彼は深夜、1時間おきに目覚めては冷や汗をかき、恐怖におののく時間を過ごすようになりました。そうした時間はなんと2年に渡って続いたのです。彼は病気という事実よりも、彼の心の中に生まれる恐怖に押しつぶされそうになっていました。
そんな彼を周囲の人々はしっかり支えようとしました。妻のキムのことを彼は「もし彼女が何でも自分のことに従うイエスマンだったら自分は結婚しなかった」と語るほど、自立したしっかりした女性でしたが、彼女は彼に結婚の時の誓いを思い出させてくれました。「私はあなたのことを見捨てたりはしない。辛いのはわかる。でも、あなたはまさに今、生きているのよ。」と。
人生の師と仰いでいた友人にも会い、相談しました。病気が進んでも、どんな道であっても彼から創造性が奪われることはない、と励ましてくれました。それでも恐怖のあまり、彼は生きた心地がしなかったのです。 |
やがて彼のかかりつけ医の言葉が、彼を目覚めさせるきっかけの一つとなったのです。自分自身が、恐怖に打ち勝たなければならないと。彼はアッシャー症候群以外の他の病気にもなっているのではないかと、不安を抱えていました。しかし目や耳以外は健康であり、むしろ彼の心の在りようが今は問題であるのだと、医師は諭してくれたのです。そして彼にとって恐怖に打ち勝つためのキーとして「信仰」があることを示してくれました。
彼は当時キリスト教の信者ではあったものの、普段から信仰に基づいた生活を送っていたわけではありませんでした。そこで日々の生活の中で信仰を活かしていかなければ意味がない、と思い至ったのです。彼は聖書の中の言葉から、神はいつも彼の人生の傍らにいてくれる誠実な友だと思うようになりました。
そして彼は眼科遺伝学の権威であるアイリーン・モーメニー先生(Irene Maumenee)から、このような言葉を貰ったのです。 |
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恐怖に怯えていた彼は変わっていきました。そして“I do, because I can.”(私はやる、なぜなら私はできるから)をモットーに生きていくようになったのです。やがて彼は自分の苦い経験を振り返り、そこから思索できるようになりました。 |
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彼は自分の恐怖に向かい合い始めていきました。単に怖がるのではなく、自分は何に対して恐怖を感じているのか。自分は闘えない、克服できない、そう思っていた対象を見極め、言葉にして置き換えていきました。そして心に響く言葉を壁に貼り、自分の心を鼓舞するようにしました。それは突然、恐怖の底に叩き落とされるような瞬間が起こった時、自分を救い上げてくれたのです。
その言葉の一つが映画俳優、そして監督でもあるクリント・イーストウッド氏の言葉“Tomorrow is promised to no one.”です。もう一つの言葉は17-18世紀のアイルランドの作家でガリバー旅行記の作者でもあるジョナサン・スウィフト氏の言葉“May you live all the days of your life.”です。
それらを訳してみれば「誰にも明日は約束されていない」「あなたが自分の人生を十分に生き抜くことができますように」という意味でしょうか。
そもそも人生は予測がつかないもの。確かなことなど何もないのです。それは彼だけ特別そうなのではなく、誰にでも平等にそうであるのです。不確かな明日に怯えるのではなく、今まさに生きている今日の自分へと集中できる言葉は、彼の生きる力になっていったのでした。 |
また、彼は自分の人生、これまではフルスピードで駆け抜けてきたけれど、スローダウンすることにより、自分が見落としてきたものがわかるようになりました。人、それぞれが人生のストーリーを抱えているということを……。アッシャー症候群だと正式な診断を受けるまでは、彼は病気や障害がある人に対して、あたたかな目を向けることはなかったのでした。お店の中で見かけても、わざと避けていました。しかし診断後は気持ちが大きく変わっていきました。今では声をかけずにはいられません。ある時、店でたまたま見かけた車椅子の男性に彼は声をかけました。そしてその男性が誤って地雷を踏んだことにより、腕と足を失ったのだと知りました。そして共にいた友人は地雷で命を落としたけれども、こうして自分は生き延びていられる、その感謝を神に捧げていると知ったのです。自分よりも過酷な状況に生きている男性が、感謝の心を持って生きていると知り、彼は大きな感銘を受けました。 |
アメリカの社会保障局(SSA:Social Security Administration)の定義では、周辺視野が20度未満が盲と判断されているそうです。現在の彼の周辺視野は17度未満で「トンネルビジョン」です。しかし視野が狭いことは、他人から見てわかる特徴ではありません。それゆえ時には思わぬ誤解を招くことがあります。例えば彼は買い物の時、並べてある棚の商品を順に見比べようと、横に移動した時のこと。彼はそばにいた息子から思わずぐいと引っ張られました。なぜならそばには女性客がいて、彼が横に移動しようとする様子は、まるで女性客にすり寄るかのように見えたからです。本当は彼の狭まった視界に女性客が入っていなかっただけなのに。通路で他の客に思いがけずぶつかってしまう時もあります。そんな時、相手は彼のことをスリだと疑い、ポケットの中を探って確かめようとする仕草をすることもありました。
彼の視力は健康な人の10%未満に相当するけれども、彼は悲観していません。自分の能力を最大限活かすために、様々な工夫をしています。キャンバスと自分との距離を変えることにより、直径約6インチ(約15cm)の彼の視界に入る情報量を変え、更に絵全体のバランスを見ることもできているのです。もちろんその視野の狭さから、モデルの目を見ている間は、口が見えていないといった不都合さもあります。しかし彼は各部分を丁寧に観察し、その情報を頭に入れて統合させ、目に見えないところは記憶で補いながら描いているのです。
パレットを見下ろして自分の欲しい色が視界に入っていなかった時には、スキャンするように頭を動かして、パレットのどこにあるのか色を見つけます。それは彼が絵を描く上で、途方もなく何度も繰り返されることではありますが、別にそれを苦にしているわけではありません。
そして彼はイグアナ・アート・アカデミーというオンラインアートスクールも開校しました。自分が描くことだけでなく、教える分野へと活動の場を広げていったのです。
アトリエに閉じこもって仕事ばかりしているわけではありません。テニスを楽しむ時はコートの中で自分の立ち位置がわかるように、何度も周りを見るのです。試合が終わってボール拾いをする時も、仲間は助けてくれます。彼の立ち位置を時計の真ん中と想定し、何時のボールがあるのか教えてくれるのです。10%未満の視力であることが、彼の生活レベルを10%未満にする訳ではありません。 |
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恐怖を乗り越え、まだ残っている能力を大切に、それを最大限活かす工夫をすれば、生活は広がりを持つ可能性があることを、ティモシー・チェンバーズ氏の生き様は語りかけているのです。 |
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参考文献・ウェブサイト: |
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