ユーモアとリフレーミングが救った心 |
こちらで目の不自由なアメリカの画家ティモシー・チェンバーズ(Timothy Chambers)氏のお話をご紹介しましたが、彼の患っているアッシャー症候群は耳にも症状を伴う病気です。彼の症状は耳の方が先行しており、5歳の頃から補聴器を常につけて生活をしていました。
彼は自身の講演("Seeing Beautiful" TEDxGrantPark)の中で、現在の聴力は健康な人の20%程度しかないと語り、示した聴力のグラフは低音域の大きい音しか聞こえないことを示したものでした。ゴロゴロ・ガタガタいう音や、ドアをノックする音、電車の音などは彼がキャッチできる音です。人の声や高いピッチのサウンドは苦手ですが、補聴器の助けだけでなく、口唇の動きを読んで言葉を理解する方法を習得して、コミュニケーションを図ってきていたのでした。
それでも、音を聞き分けることは、随分苦労されました。 例えば言葉であれば子音が聞き取りにくいのです。彼は大人になってから、耳の聞こえる我が子から自分の話す言葉について「それって何?」と言われて、初めて自分の発音が間違っていると気付くこともあったそうです。
例えば入れなくても良い音を入れてしまった時のこと。彼は息子と船の話をしていた時に、自分ではヨット(Yacht)について話していたつもりだったけれども、実際は「yakt」と発音していました。正しく発音できていなかったのです。息子から「kの音はいらないよ。y-o-tって発音するんだよ」と指摘されることもありました。
ヨットの綴りの中には「ch」が含まれていますが、この「ch」は彼にとって非常にトリッキーでした。例えば人名のCharlotte(シャーロット) のChは「シャ」ですが、地名のCharleston(チャールストン)は「チャ」です。同じ綴りであっても発音が随分異なる言葉、そして会話の中では瞬時のうちに消えていくその言葉を聞き分けようとすることは、本当に大いなる苦労があったことでしょう。 |
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彼は講演の際、ユーモアも交え、その様子は堂々と自信に満ち溢れていましたが、それはまさに“doing the impossible”を重ねてきた証ですね。
それは彼が特別だからでしょうか? もちろん彼が逆境に負けない、そこから伸びていく強靭な力の素質を秘めていた、という理由もあるでしょう。しかしながら、それだけではありません。彼が道に迷いそうになるたびに、親の適切なガイドが彼をより良き道へと導いてくれていたのです。
彼の両親はとてもウイットに富み、ユーモアのセンスに溢れた人でした。彼はそんな両親の影響を幼い頃から受けてきたのです。母親は自分が自分自身を笑い飛ばす時、あまり深刻になりすぎないコツを教えくれました。父親はバツの悪いことを楽しい感じへ変える技を知っていました。そうした両親の教えによって、人生の中でぶつかる辛い出来事から、彼はふっと軽く身をかわせるようになっていったのです。
こどもはそんなに悪気があるわけではなくても、時に残酷な仕打ちをすることがあります。例えば自分やその他大勢と何等かの違いを持つ子がいた場合、それを揶揄して相手を貶めたり……。彼は幼い頃、補聴器を目立たなくするために、髪を伸ばして隠そうとしていました。今から50年近く前の補聴器ですから、大きさやデザイン性は今とは随分異なっていたことでしょう。歴史の授業中、クラスメートが彼のことをじっと見て、そして見下すような感じで補聴器のことを尋ねて来たのです。「変人くん、耳の中のそれって何なんだい?」
彼はとても嫌な気持ちになりました。そして次にまた同じことが起こったらいっそのこと、相手を殴ってしまおうかとさえ思っていました。しかしそれを知った父親は、息子にユーモアで交わすよう、告げたのです。 |
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その作戦はうまくいきました。つまらない授業中に白熱した野球試合の中継を聞けるなんて良いなぁと、クラスメートは羨ましがったのでした。補聴器に興味を示して揶揄するような年齢だったからこそ、ウイットに富んだ彼の切り替えしにも「そんなの嘘だ!」と言わないで、信じたのでしょうね、きっと。
その後、成長して高校生になると、補聴器は別の意味で彼に困った状況をもたらしました。それはデートの別れ際のキスの時。彼が身を乗り出した途端に補聴器がピーピーと鳴り出してしまったのです。補聴器のハウリングは耳栓が耳の穴としっかり合っていない場合、補聴器によって増幅された音がその隙間から漏れ出て、再び補聴器のマイクによって拾われ、その音が更に増幅されることによって起きるものです。彼女に近づこうとした姿勢で耳栓が少し外れてしまったのかもしれませんね。気まずい思いをして落ち込む彼に、父親がかけた言葉はとてもいかしていました。 |
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そんな風に捉え直すことにより、恥ずかしくてたまらなかった思い出は、ほろ苦い懐かしい思い出へ変わることができますね。 |
「こっぱずかしくていたたまれないときも、
『壁や行き止まりのように見えるものごとを乗り越える方法を探すうちに、ますます強くなるんだよ』
と励ましてくれる父がいて、じつにしあわせだった」。
引用文献:
シェリル・サンドバーグ, アダム・グラント著, 櫻井祐子訳(2017)『オプションB 逆境、レジリエンス、そして喜び』日本経済新聞出版社, p.151 |
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やがてバツの悪さをユーモアで切り抜けるようになった彼は、自分の障害に自分自身がどう反応するかによって、他人の反応が変わることを知っていきました。いたたまれないような雰囲気を自分が作り出すのか、あるいはクスッと笑えるような雰囲気を作って、和んだその場から何か新たな展開を作るのか……。それは自分次第。バツの悪さも含めて、それが格好悪かったとしても、それもすべて含めて自分だと理解してもらうことにより、相手との仲がだんだん深まっていくことにもつながりますものね。 |
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デートで起こったハプニング、そこに寄せた父親のアドバイスはまさに「リフレーミング」ですね。出来事に対して自分の価値観と自分の視点から生まれる感情、それが自分自身を苦しくさせるものであるならば、感情が生まれる前の時点を別のアプローチにしてみる、ということです。自分の価値観、自分の視点、それらを変えて出来事を捉え直していくことにより、自分が苦しくならないような状況を作り出していけるのです。
決して出来事自体が変わるわけではないけれど、そこに足をとられてしまい、苦しい思いを抱え続けるのか、あるいはそうではない道を選ぶのか。
後者を選んだとしても、決してそれは現実逃避しているわけではないと思います。病気によって起こり得る不都合な出来事、それが避けられないもので、これからも続くならば、それとうまく折り合いをつけて生きていくことが本人には求められるのですから。その方法の一つが「リフレーミング」だと思います。まさに渦中の人となっている時には、こどもは行き詰まり感でいっぱいになっています。だからこそ、そこから一旦引き上げられて異なる価値観、異なる視点があると知ることにより、見えている世界が変わっていくのです。
こどもは自分一人でリフレーミングができるようになるわけではありません。病気理由でこどもがからかわれた時、悲しい思いをした時、恥ずかしい思いをした時、ぜひリフレーミングの方法を親御さんが教えてあげて欲しいと思います。 |
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参考文献・ウェブサイト: |
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