「共同体感覚」が生み出す心の晴れ間
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1881年夏、受験したバカロレアに不合格となり、療養地で母と過ごしていた当時16歳のアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックが心を立て直すことができたのは、親友の関わりがきっかけであったことをこちら(※1)でご紹介しました。そこではロートレックとエティエンヌ・ドゥヴィスムとの当時の手紙のやりとりを参照し、ロートレックが所謂「共同体感覚」を持っていたことにより、親友の挿絵創作依頼を一筋の光明のように感じ、強い幸福感を得たのではと推論する私見を書きました。共同体感覚とは精神科医アルフレッド・アドラーが掲げた概念で、人の幸せは他者との関係性を通して生まれ出づると考える上で、基本になる感覚です。信頼できる仲間のために自分が何か一生懸命力を尽くし、その行為が仲間の役に立つことにより、そうした行いをした自分自身に目を向け、自分に価値があると思えるようになり、自分で自分を受け容れられることに繋がるというものです。アドラーは共同体感覚を「自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献する」(※2)と説きました。こうした考えは仏教の「自利利他」にも通じるものがあると言えますね。今日はこの共同体感覚について、もっとわかりやすく若い世代にも伝わるメッセージ例として、音楽に現われた共同体感覚をご紹介したいと思います。
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■「early summer 2022」
小田和正氏は今夏、オリジナル・アルバム「early summer 2022」(※3)を発表されました。こちらに収められた9曲すべての根底には「共に生きる仲間」への思いが強く存在するように感じられました。 |
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9曲の中で特にフォーカスしたいのは6曲目、5曲目に登場する「ナカマ」と「so
far so good」です。前者はテレビ東京系のビジネスドキュメンタリー「ガイアの夜明け」のエンディングテーマとして作られました。後者は不動産業の営業職が主人公のNHKドラマ10「正直不動産」の主題歌です。小田さんにエンディングテーマ・主題歌の制作を依頼したテレビ番組側の意向もあるとは思いますが、これらの歌両方から共同体感覚がとても強く感じられます。
「ナカマ」の歌詞の一部を挙げてみます。
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みんなの笑顔が 夢を 近づけてくれた
ひとりではないことを 教えてくれた
僕らは 誰れひとり 決して離れることもなく
ひとつに なって行った かけがえのない あの日々(※4) |
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この「ナカマ」の制作時の心情について、小田さんは次のように語られています。
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「ガイア」を見ていると製作者の心意気が強く伝わって来ます。それに応えたいという気持ちで書きました。団体で戦うというのはどういうことか。見えないところで懸命に頑張る仲間がいてくれるからそこへたどり着ける。自分の現場でもそんな人たちが大勢います。少しでも番組の役に立つことが出来れば嬉しいです。(※5) |
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「ガイアの夜明け」は時流に乗ったビジネスのサクセスストーリーではあるものの、企業の規模やマーケットの大小に関わらず、問題意識を持って地道に果敢に取り組む人々の姿に焦点を当てた番組です。自分の知らないところでこんなに頑張っている人がいるのだなあ…と驚きや清々しさを得られる番組です。「ナカマ」を作った小田さんの言葉には、取材を受けた主人公たちやその番組作りに携わるスタッフ両者への敬意が溢れ、自分の作った歌が番組の役に立つことを喜びとして感じることを明確に表現されています。歌を通して「他者貢献」できることがアーティスト冥利に尽きると感じていらっしゃるわけです。
そしてこちらは「so far
so good」の歌詞の一部。
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嬉しいこと 悔しいこと 繰り返しながら
相変わらずの毎日 そんな自分だけど
誰かを 幸せに出来るとしたら
きっと それが いちばん 幸せなこと(※6) |
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率直に歌詞の中で「他者貢献」が最上の幸せだと表現されている歌が世に出るにあたり、小田さんは次の言葉を寄せています。
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「皆に迷惑かけないで少しでも役に立って来いよ!」と送り出す気持ちです。(※7)
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作品自体も、そして作品に対する小田さんの思いも共に「他者貢献」であることは、特筆すべきところでもあります。
さてここで再び、ロートレックとドゥヴィスムの関係性に立ち返ってみましょう。ロートレックの挿絵は、ドゥヴィスムのテキストがあるからこそ成り立つものでした。「とにかくあなたの文章を、ぼくの絵が花火のように美しく飾ると思っただけで嬉しくて嬉しくて、頭が変になりそうです。世間に知られることの困難な道で、あなたは救いの手を差しのべてくださったのですからね。」(※8)
このロートレックの言葉が示すように、互いに必要とし、必要とされる関係性が新たな喜びの出発点ということです。
こうした関係性に基づく幸せは時代の新旧に関わらず、普遍の原理であるとも言えます。「early
summer
2022」の7曲目に登場する「こんど、君と」(NHK「みんなのうた 60」記念ソング)の中で、小田さんは次のように歌っています。
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想う人がいる 想ってくれる人がいる
小さな 幸せが 支えてくれる
もう少し この先へ
行ってみよう もう少しだけ
もう少しだけ(※9) |
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「共依存」なのではなく、それぞれ自立した存在がお互いの良さを認め合い、お互いを必要とし、必要とされる。そうした関係性が新たな世界を広げてくれる。この年の初冬、2度目のバカロレア挑戦でロートレックが合格できたのは、きっとドゥヴィスムとの関係性から生まれた喜びと自己受容を礎にして、受験に向けた努力を継続できたからでしょう。小田さんの言葉をお借りすれば「支えてくれた小さな幸せにより、もう少し先に行けた」ということなのだと思います。
共に生きる生を象徴する「early summer 2022」に対して、小田さんの前作のオリジナル・アルバム「小田日和」は特に意図されたわけではないのかもしれませんが、大切な人と死別した後の心模様を映し出したかのような言葉が溢れています。遺された人がこれからどう生きていけば良いのか、心迷う中で琴線に触れるメッセージがたくさん読み取れるので、アルバムが発表された当時、Lana-Peaceのグリーフケア版のエッセイでもご紹介しました(※10)。その他、小田さんの作品には死別後の家族の気持ちに力を与えてくれる歌はいくつかあります(※11)。そうした支援を必要とする人の元に歌が届くと良いですね。
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写真: |
※1 |
小田和正「early summer 2022」2022/6/15リリース
品番:FHCL-3009, Ariola Japan(当方撮影) |
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引用文献・ウェブサイト・楽曲: |
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幸せは関係性の中から生まれる、それを理解し、実感すると、たとえ病気療養中であっても、幸せを感じられる可能性は大きく広がります。そしてそれはきっと、心に小さな晴れ間が生まれるきっかけになると思います。 |
2022/7/26 長原恵子 |
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