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濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

今日はフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックについて第4回目となります。ロートレックは1978年、1979年、10代半ばでそれぞれ左、右の大腿骨骨折を経験しました。生来患っていた濃化異骨症の影響もあったせいか、骨折後の回復には通常以上の長い期間を要しました。その時期、彼の心に大きな支えとなったのは絵を描くことでした。画題として動くもの、特に馬を好んでいましたが、走る馬の絵を描くことは、療養中の閉塞感を打破する上で大きな効果があったと考えられます(※1)。やがて骨折が治り将来の進路に向けて準備を加速させていた10代後半、受験でつまずいた時期にも「絵を描くこと」が彼の気持ちを再び救ってくれました。それは一体どういうことだったのか、アドラーの心理学の要素も合わせて考えてみようと思います。

---*---*---*---

■バカロレアの受験
1881年春、16歳のロートレックはバカロレアを受験することになり、養生先のニースから母と共にパリに向かいました。バカロレアとはフランスで中等教育修了を認定する学位であり、バカロレア取得者は帝国大学傘下の学部へ入学でき、高等学院入学の受験資格が与えられました(※2)。彼はもう1年近く思い描いていた将来の夢がありました。それはいずれ芸術で身を立て、パリで自立した暮らしを営むことです。ロートレックの絵画の才能は確かに伸びていました。その成長ぶりは中等教育機関のフォンターヌ学院入学のため、パリに移り住んだ頃から、彼に絵画指導していた画家のプリンストーが感嘆するほどでした。後にロートレックとプリンストーのスケッチを研究したフランスの美術評論家が、どちらによる作品か判別するには二度見しなければ見分けがつかないほどだと評したエピソード(※3)があるほどです。プリンストーは弟子の将来性を考えると、自分よりもっと有力な良い指導者に付くべきだと、考えていました。他に幼い頃から絵心の育みに一役買っていた叔父シャルルも、甥の絵の才能を高く評価していました。とは言え、彼の両親は息子の芸術の才能を趣味のレベルで考えていました。

ロートレックのこの年の作品として伝わる油彩画があります。「CHEVAL BLANC GAZELLE」(白馬ガゼル)(※絵画1)です。フランスのトゥールーズ=ロートレック美術館で所蔵されており、ホームページ上で閲覧できます。白馬の頭部が描かれたものですが、本格的な美術の高等教育を受ける前の青年が描いた作品とは思えないほど、見事な作品です。ロートレックが絵の道に進みたいと思う気持ちが決して生半可ではない、凛とした強さが滲み出ています。

やがて彼らの意見を聞くうちに両親の考えも変わり、息子にふさわしい進学先を見極めようと、両親は学校やアトリエ探しに力を注ぐようになりました。当のロートレック本人は受験前の準備期間、毎朝プリンストーのアトリエに出かけて午前中はずっと絵の勉強に励み、午後になると教科の学習に取り組みました。そして同年7月の受験に臨みましたが、残念ながら不合格に終わりました。

その夏、母アデルはロートレックを南仏の療養地ラマルー・レ・バンに連れて行きました。医師から鉄分とごく微量のヒ素が含まれる温泉が良い、と勧められたからです。これまでロートレックの療養や体力増進を目的に、母子は何度も有名な湯治場を訪れ、長期滞在を重ねてきました。ですから母アデルにとっては今迄通りの過ごし方です。しかしもうすぐ17歳を迎えようとするロートレック側には内なる変化が起こっていました。健康増進のためという大義名分があったとしても、心から慕う指導者との学びの場から離れ、直線距離にしてパリから600kmほど遠ざかった湯治場でのんびりと母と過ごす生活が始まるのです。その生活に物足りなさを感じたことは、想像に難くありません。彼は何とかパリのアトリエに戻り、絵の勉強を続けたいと思いました。理想と現実の狭間で心情的にもがいていたちょうどその時、救いとなる一通の手紙が届きました。差出人は親友エティエンヌ・ドゥヴィスムです。彼は物語を書いてみたので、ロートレックにその挿絵を描いてほしいという依頼だったのでした。

ドゥヴィスムの作品『Cocotte』は馬を主人公にしたものでした。軍用馬だった牝馬が余生を地方の司祭の家で終わらせようとしていたところ、偶然にもかつて所属していた騎馬隊の連隊が通りかかり、そのラッパの音につられて駆け出した牝馬が司祭を騎馬隊の中へと引きずり込んでしまう、といったストーリーです(※4) 。馬の動きを紙面に蘇らせることは、ロートレックにとってはお手の物です。何と嬉しい依頼でしょうか!

ロートレックは早速ドゥヴィスムに返事を出しました。自分はバカロレア受験に失敗し、今はラマルーで過ごしているといった近況を知らせると共に、友の頼みをぜひ引き受けたいと伝えました。パリのアトリエ通いは叶わなくても、自分が夢中になれる新たな目標が見つかったのです。ロートレックは前年、四輪馬車の水彩画(※絵画2)を描いてドゥヴィスムに送った時、まさかこんな展開になるとは想像もしていなかったことでしょう。

おととい、やっと君の珠玉の散文を受け取りました。僕は今、赤土のひどい僻地にいるんだけど、ここもバニョル同様風景画が似あいそうなところです。早速仕事にとりかかりますが、君の物語に入り込んで描こうと思っています。いずれ出来る限りのことをするつもりですが、僕のひどい鉛筆画に目をむけてくれるなんて、君は本当にいい人ですね。それは自信をもっていいよ。それでもあの「ココット」を何とかしたいなと思っています。(※5)

この数日後、再度ロートレックはドゥヴィスムに手紙を送りました。彼のインスピレーションに合った絵を描きたいから、どのような絵を希望しているのか教えてほしい、といった内容です(※6) 。友の文章を活き活きと引き立てるため場面や構図、筆致の選択等、随分思案していたことでしょう。大好きな馬の絵、それも親友たっての頼みで挿絵を描くとは、今迄経験したことのない胸躍る時間です。その後ロートレックは秋までに23枚もの挿絵を描き、ドゥヴィスムに郵送しました。冒頭「最高の仕事ができました」から始まる手紙は控えめな所がありつつ、どれほど頑張ったか友に伝えたい一心がよく表れています。

親愛なる友へ。
最高の仕事ができましたのでまとめて23枚のデッサンを郵送します。ちょっとした事故のせいで、なかに同じ柄が1組あります。ちょっと愉快すぎるかもしれない絵ですが、文章の方も負けず劣らず楽しいものですからね。司祭様はかわいそうですね?何もかも君の言うとおりにするから、直したいところがあったら手紙をください。役に立たないから送り返したいと思ったら送り返してください。もっと新しい挿絵が必要なら、遠慮なく言ってください。ぼくのお粗末なアイデアに目を通してくれるなんてとてもうれしいです。……ほんものそっくりに描くつもりでしたが、なかなかそうはいきませんでした。イボが気に入らないのです。イボは浮かれたように毛を付けたり大きく描いたり先っぽを輝かせたりして描きたいのです。さようなら。親愛の情を込めて君の手を握ります。お母さんとアンドレによろしくお伝えください。

画家の卵 

H.de.T=L(※7)

『ロートレック ―世紀末の闇を照らす』(創元社)では、ロートレックが『Cocotte』のために描いた線描画を数点見ることができます。挿絵はコミカルなエッセンスを携えながらも、軍隊で役目を終えた後の馬の悲哀さや憂いまでも伝わって来るようです。

その後、ドゥヴィスムからお礼の手紙が届きました。ロートレックは文字通り大喜びでした。

優しい寛大なお手紙を拝見して、すこしばかり気が狂うのではないかと思いました。ぼくのつまらない素描を受け取ってくださったばかりか、礼までおっしゃるなんて丁寧過ぎます。どうぞ自由にしてください。……とにかくあなたの文章を、ぼくの絵が花火のように美しく飾ると思っただけで嬉しくて嬉しくて、頭が変になりそうです。世間に知られることの困難な道で、あなたは救いの手を差しのべてくださったのですからね。ぼくはだんだんと遠去かっていく昔の友情を、もう少し大事にすべきだったようです。(※8)

こちら(※9) で触れたように、二人の関係性は単に気が合うだけでなく、共に「病いを抱える身」であることが大きな意味を持っていました。それぞれの大変さを上辺だけではなく、心から理解することができ、人として信頼を寄せていたのです。パリから遠く離れたラマルーでの療養生活は何一つ変わっていないにも関わらず、親友の一報によって始まった挿絵描画でロートレックは「頭が変になりそう」なほど嬉しい気持ちを味わいました。どんな不本意な状況下におかれても、人との関係性を通して幸せな気持ちが新たに生まれ湧くことができる、とロートレックは気付いたのではないかと思います。それは新しい価値観の創生でもあります。新たな価値観と共に過ごすことで、変わり映えのないように思えた時間に彩りが増すことになります。ドゥヴィスムとの友情を「もう少し大事にすべきだった」と記したのは、そうした幾つもの気付きへの感謝の意も込められていたのではないでしょうか。

■ロートレックの共同体感覚
さて、ロートレックがドゥヴィスムとの関係性を通して気付いたであろう幸福観を考える上で取り上げたいのは、オーストリア出身の精神科医アルフレッド・アドラーの「共同体感覚」(※10)という概念です。彼はロートレックの6歳年下ですから、まさに同じ時代を生きていた者同士とも言えますね。アドラーは人間は3つの主要な絆の中に生きていることを説きました。地球上に住んでいる者同士の結びつき、他者との間に生まれる結びつき、そして男性・女性の結びつきです。人間は個人として弱さ、欠点、限界があるがゆえに、こうした他者との絆、結びつきによって補われ、克服され、より良い状態に近づいていくと考えました。アドラーが共同体感覚に思い至ったのは第一次世界大戦で精神科医として従軍した折、傷ついた兵士の姿を前に、人間は闘わないために何をするべきか深く考えるようになったことがきっかけと言われています(※11)。そして共同体感覚は「自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献する」(※12)とアドラーは考えました。

哲学者でありアドラー研究者でもある岸見一郎氏はこの共同体感覚について、3つの観点から成る円環構造を挙げています。自分には信頼できる仲間がいて、仲間のために自ら何かを行ったことで、自分は仲間の役に立ったと感じられ、そこから自分には価値があると思え、自分自身を受け容れられるようになる、という流れです。他者信頼、他者貢献(感)、自己受容、これらが共同体感覚を生み出すということです(※13)

ここでロートレックがドゥヴィスムに抱いていた感情をこの観点でもう一度整理してみましょう。信頼のおける親友ドゥヴィスム(他者信頼)から自分の作品に挿絵を描いてほしいと頼まれ、そこで懸命に23枚のデッサンを描きました(他者貢献)。ロートレックはドゥヴィスムの期待にしっかり応えることができ、親友のために役立てたことに安堵と喜びを感じました。それにより画家を目指したい自分の夢に向かって邁進しようとする決意を一層強めたことでしょう(自己受容)。こうした気持ちの動きは、同年初冬のバカロレア再受験に向けて再び頑張る原動力になったと思います。

アドラーは先に挙げた3つの絆は「われわれの仲間の中でいかに自分の場所をみつけるか」(※14)と問題を提起することも述べています。「自分の場所」それを換言すれば、様々な人々との繋がりの中で自分が心地良く感じて過ごせる関係性、ということではないでしょうか。挿絵依頼があった時、ロートレックはバカロレアで不合格になり、切磋琢磨するアトリエでの刺激も無くなり、彼にとって決して活力がみなぎる時期だったとは言えません。しかしドゥヴィスムとの関わりの中で、自分の心地良く過ごせる関係性を再認識できた(居場所を見つけた)ことで、自分の目指すべき目標に向かって心に喝が入ったように感じただろうと思います。

ドゥヴィスムからの返事を受け取った時の心情をロートレックは「すこしばかり気が狂うのではないかと思いました」と綴っていますが、挿絵依頼を「経験」として捉えた時、アドラーの説く経験論がロートレックの心情を理解する上で役立ちます。

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。(※15)

挿絵依頼の経験が出発点となり、ロートレックは例えばこんな思いに駆られたのではないでしょうか。パリのアトリエで好きなことを「個」として追求する以外にも幸せの形はいくつもあると。人との関係性を通して初めて得られる幸せによって、個としての幸せも増えていくのだと。そして23枚もの作品を仕上げていくうちに、自分は何を幸せに思い、大事にしていきたいのか、人生の方向性が明確になった。だからこそ作品ができあがって郵送した時、同封した手紙に「画家の卵 H.de.T=L」と署名したのだと。それは将来への強い決意の萌芽とも受け取ることができます。
つまりロートレックにとってこの挿絵依頼・受諾・作成の「経験」は、自分を知るための特別な契機になったわけです。ロートレックがこの経験に意味を与えたというよりは、この経験から意味を感じ取ったという方がより実情に近いと思います。いろいろ思うことはあっても、それを系統立てて明確に行動として打ち立てることが難しい思春期に、そうした経験を得たからこそ、ドゥヴィスムとの友情をもっと大事にするべきだったと顧みたのでしょう。

1881年11月、ロートレックは再度挑戦したバカロレアで無事、合格しました。そして1882年3月、ロートレックの最終的な進路が決まりました。エコール・デ・ボザール(フランス国立高等美術学校)ではなく、フランスを代表する肖像画家レオン・ボナのアトリエで学ぶことになったのです。当時ボナの作品はフランス芸術家協会の基準では非の打ちどころのないものと評されており、彼に肖像画を描いてもらうためには相当な準備の上、将軍や大臣、大使の推薦が必要とされるほどの人気ぶりでした(※16)。母アデルは母方祖母宛ての手紙の中でボナのアトリエの方がエコール・デ・ボザール進学より利点が多く、もしボナの指導が合わないようだったらいつでも進路変更すれば良いと考えていたことを明かしています(※17)。勢いのある巨匠の下で学べば、息子も時代の流れに乗った芸術家の一人として足を踏み出すことができると考えたのでしょうか。3月下旬、ボナの面接を受け許可されたロートレックは、イースターの後からアトリエに参加できることになりました(※18)。そして1882年4月、プランストーの推薦と共にレオン・ボナのアトリエの一員として、新たな一歩を踏み出したのでした。

 
絵画参照先:
※絵画1 Occitanie Musées ウェブサイト 
CHEVAL BLANC GAZELLE (フランス・トゥールーズ=ロートレック美術館蔵) 
※絵画2 「無蓋の四輪馬車」(水彩画, 1879-1880年)
曽根元吉訳, フィリップ・ユイスマン, M.G.ドルチュ共著[他](1965)『ロートレックによるロートレック』美術出版社, p.30
 
引用文献:
※1 Lana-Peaceエッセイ「心を鼓舞する選択と行動が生み出す新たな力 濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」長原恵子
※2 大場 淳「フランスのバカロレアと高等教育の質保証に関する一考察」(平成17年5月21日 日本高等教育学会第8回大会自由研究発表「高等教育の質保証の構造と課題(2)─質保証と高等教育の入口・出口─」資料)
※3 Julia Frey(1994) Toulouse-Lautrec : a life, New York, Viking Penguin, pp.117-118
※4 アンリ・ペリュショ著, 千葉順訳(1979)『ロートレックの生涯』講談社, p.71
※5 クレール・フレーシュ著, ジョゼ・フレーシュ著, 山田美明訳, 千足伸行監修 (2007)『ロートレック ―世紀末の闇を照らす』創元社, p.139
1881年8月 ロートレックからエティエンヌ・ドゥヴィスムへの手紙
※6 前掲書3, pp.120-121, 
1881年8月に送った手紙から数日後、再度ロートレックからエティエンヌ・ドゥヴィスムへの手紙
※7 前掲書5, pp.139-140,
1881年10月頃と考えられている ロートレックからエティエンヌ・ドゥヴィスムへの手紙
※8 前掲書4, p.72
※9 Lana-Peaceエッセイ「療養中の出会いで得た内省と成長ー濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」長原恵子
※10 アルフレッド・アドラー著, 岸見一郎訳(2010)『人生の意味の心理学 上』アルテ, pp.11-12
※11 岸見一郎著, 日本放送協会/NHK出版編(2016)『アドラー『人生の意味の心理学』 決めるのは、あなたです』NHK出版, 巻頭写真p.2
※12 前掲書10, p.12
※13 前掲書11, pp.83-86
※14 前掲書10, p.12
※15 前掲書10, p.21
※16 前掲書3, p.125
※17 前掲書3, p.126,
1882/3/21 ロートレックの母アデルから母方祖母ルイーズへ送った手紙
※18 前掲書3, p.127,
1882/3/31 ロートレックの母アデルから母方祖母ルイーズへ送った手紙
   
 
個としての幸せは単独で追及できるものもあれば、他者との関係性の中で生まれてくるものもある、そこに気付くことができると、きっと手詰まり感からも解放される事に繋がりますね。特に思春期においては。
2022/7/18  長原恵子
 
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